2-1「コレラ病患者数」 明治10年(1877)10月17日
明治10年10月、西南戦争に出征し東京へ帰る途中の兵士が、県内滞在中にコレラ病を発症しました。兵士以外にも、滋賀・栗太・神崎郡で県民にも患者が現れ、これが明治維新以降本県ではじめてのコレラ流行となりました。その患者数は10月上旬の16日間で164人、死亡者は29人に上りました。【明い96-1(11)】
2-2「明治22年の感染症患者」 明治22年(1889)
明治22年の滋賀県統計書の原稿には、明治13年の「伝染病予防規則」により「法定伝染病」と定められた6つの感染症について、その患者数と死亡者数が掲載されています。明治18年頃から県内では腸チフスの流行が繰り返されており、この年にも398人の感染者がいたことが、統計からわかります。【明お29】
2-3「滋賀県下の感染症流行状況」 昭和3年(1928)3月
昭和3年に発行された『滋賀県史 第四巻』です。第10節「衛生」の中に「伝染病」の項目が設けられており、明治期~大正期にかけての県内における感染症の流行状況について記載されています。「法定伝染病」の他にも、流行性感冒(インフルエンザ)やペスト、麻疹などの感染症が流行していたようです。(滋賀県所蔵)
2-4「知事引継書から見る感染症」 昭和11年(1936)
本県の知事引継書からも、県内の感染状況を見ることができます。引継書には、衛生課の業務として当時の特筆すべき感染症対策について記載されており、大正・昭和期に記述の多いのが結核やマラリアについてです。結核は昭和11年に県内最多の死亡者数(1616人)を記録しています。【昭お8(22)】