2-1「湖岸干拓に関する意見書」 昭和7年(1932)12月20日
昭和7年に県議会から知事へ出された琵琶湖干拓に関する意見書です。本県は、地形的にも耕地面積が極めて少ないので、耕地を増大し「県財政の資源を造成」するとともに、食糧問題などを解決するために、干拓事業を県主導で推し進めてほしいと要望しています。【昭き4-1(16-5)】
2-2「内湖干拓に関する知事引継書」 昭和9年(1934)10月
耕地の増大は県も「緊要事項」と位置付け、昭和9年の伊藤武彦から村地信夫への知事引継書でもその記述があります。ここでは、水源が容易に得られて、耕地に転用でき、しかも工事費が最も少額な未開墾地は、琵琶湖岸の池沼(内湖)であるので、この干拓についてよく考えるよう次期知事に求めています。【昭お6(9-5)】
2-3「諮第1号干拓埋立問題答申書」 昭和12年(1937)7月
昭和10年、琵琶湖の多様な利用方法に関し調査および審議をするため、「琵琶湖対策審議会」が発足しました。ここでは諮問第1号として琵琶湖干拓についても採り上げられました。本資料はこの諮問に対する、昭和12年7月の最終答申書です。干拓はぜひ実現を促進すべきであるが、治水および水産業への影響を特に考慮しなければならないと結論付けています。【昭ね8(2)】
2-4「琵琶湖干拓に関する建議」 昭和16年(1941)12月
本章で見てきたように、県内からはたびたび内湖干拓の計画が出されてきましたが、湖面相殺法(常水位の水面積維持を条件とした水利や湖岸利用の適否判断)や県下からの反対意見に阻まれてきました。しかし、食糧問題の緊迫する国情に鑑みると、一刻も早く干拓事業を完遂するべきなので、県営により速やかに実現するよう県議会から再度要望がありました。【昭き6-3(5)】