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滋賀県立公文書館の公式ホームページです。

県民共有の知的資源として歴史公文書等を県民等の利用に供するとともに、未来へ伝える役割を果たすために、様々な業務を行っています。

  

《増刷しました!》
『歴史公文書が語る湖国
 ー明治・大正・昭和の滋賀県ー』

 編 集 滋賀県立公文書館
 発 行 サンライズ出版
 価 格 ¥2,200(税込)
 発売日 2021年3月26日
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《お知らせ》

 

1-1 「内湖の利用状況」 昭和16年(1941)10月

 昭和16年時点(干拓以前)の内湖の利用状況について記された資料です。県経済部調査課が内湖干拓計画の下調査として作成しました。当時の琵琶湖周辺には40以上の内湖があり、漁場や、肥料として利用する水産物(泥・藻など)の採取場、かんがい用水として利用されていたことがわかります。【昭ね9(1)】

 

1-2「松原内湖見取図」 明治39年(1906)10月22日

 干拓以前の松原内湖(彦根市)の見取図で、『漁場図綴込帳』に綴じられているものです。内湖内には、エリ漁の存在が確認できます。松原内湖は、昭和19年から同22年にかけての干拓工事でなくなりますが、この絵図からは干拓前の様子がみえてきます。【明つ39(152)】

 

 

1-3 「元禄元年中湖漁獲区域図」 昭和5年(1930)4月

 元禄元年の中の湖の漁獲区域を表した絵図です。オレンジ色で表されている場所がヨシ地で、内湖沿岸に広がっていることがわかります。ヨシは、琵琶湖の主要な水産物のうちのひとつで、よしず(ヨシ製のすだれ)や屋根の素材として利用されてきました。【昭こ305(1-2)】

 

 

1-4「安土遠望」 昭和初期

 安土山が内湖に囲まれていた時期の貴重な写真です。左手には安土山、安土山を囲むように小中(しょうなか)の湖、その奥には大中(だいなか)の湖が見えます。写真には写っていませんが、左側には西の湖があります。小中の湖は昭和17年に、大中の湖は同21 年に干拓工事が開始され姿を消しましたが、西の湖は洪水調整池と背後地の用水対策のため残されました。【資570】

 
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