滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1-1「元大聖寺藩製造蒸気船号一番丸並附属品共払下の件」 明治6年(1873)11月29日

 かつて琵琶湖の湖上水運は、丸木船・艜(ひらた)(細長く底が浅い小舟)が主流でした。しかし、京都御所警衛の兵員輸送で不便を感じていた加賀国(現石川県)大聖寺藩の石川嶂は、日本初の湖上蒸気船「一番丸」を建造し、明治2年に就航させます。船長は大津百艘船仲間の一庭啓二が務めました。しかし、明治3年6月に、汽船営業に藩が関与できなくなった後は個人へ払下げされます。この文書はその入札者を募るために作成されたものです。【明い44(129)】

 

 

1-2「県治所見書」 明治7年(1874)1月11日

 滋賀県の初代県令(知事)は開明的な政策で知られる松田道之です。明治5年に松田は蒸気船の就航を推進するため「廻漕會社」を作るように告諭を出します。しかし、丸木船の乗船料の方が安く、思うように蒸気船数は増えなかったようで、年始に官員に示した本文書でも、「湖上運輸の便を盛んにする事」を挙げています。ただし、あくまで、県民への強制はしないように官員へ説いています。【明い246-2(2)】

 

 

1-3「鉄道蒸気車駃走図」 明治4年(1871)6月

 明治2年11月10日に政府は、日本における最初の鉄道建設計画を決定します。東西の主要都市と日本海・太平洋を結ぶため、東京・京都間の幹線と東京・横浜、京都・神戸、琵琶湖畔・敦賀間の3支線、計4路線を計画しました。この資料は京都府作成の文書に添付されている蒸気機関車の図です。【明と1(2)】

 

 

1-4「鉄道製造に付測量として御雇外国人共出張の件達」 明治3年(1870)6月

 この文書は、東京・京都間の幹線にあたる鉄道線路測量のため、大津県(滋賀県の前身)へお雇い外国人が出張する旨を、太政官が通達したものです。翌4年6月、県は測量の目印となる杭を抜き取ったりしてはならないと布達しています。しかしながら、明治7年4月には滋賀郡粟津村で測量目標用に立てていた「鉄道旗」が所在不明となり、捜索指示が出る事件も起こりました。【明う151(16)】

 

1-5「(京都から大津)鉄道建築に付き、工部省達」 明治11年(1878)6月21日

 工部省が通知した文書を書き写したものです。13年の6月に完成した大津・京都間の工事は外国人の力を借りず、日本人のみの手で完成させた最初の山岳線工事でした。現在は廃線となっていますが、鉄道記念物に指定されている旧逢坂山トンネルが現存しています。この時現在の京阪びわ湖浜大津駅付近に作られた大津駅は長浜駅へ向かうターミナル駅としてにぎわいました。【明と3-4(1-1)】

 

1-6「長浜港略図」 明治13年(1880)10月24日

 東京・京都・敦賀間は明治10年以降、財政上の理由等から工事が停滞します。その中で滋賀県内は、湖上交通を活用する敷設案が前提となっていきました。そこで米原・敦賀間での敷設の予定でしたが、米原では泥により船の出入りが妨げられることから、長浜が採択され長浜・敦賀間が明治17年に開業を迎えます。その後、22年に東海道線が全通するまでの期間、汽船による「鉄道連絡船」の拠点を担ったのが長浜港と明治15年開業の太湖汽船会社(後の琵琶湖汽船)でした。【明ぬ121(5)】

 

 

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