滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

2-1「柳ケ瀬隧道東口図面」 明治17年(1884)以降

 柳ケ瀬隧道(トンネル)は長浜・敦賀間の鉄道敷設のため造られました。明治13年に着工し、日本で初めてトンネル工事においてダイナマイトを使用したことでも知られています。全長1352mのトンネル開削は、大雪に見舞われたり、大きな断層を突き抜ける作業のため、4年間におよぶ難工事となりました。本図面からは、柳ケ瀬川に沿って鉄道が走り、トンネルへと線路が続いている様子がわかります。この隧道は、鉄道廃線後の現在も自動車用トンネルとして使われ続けています。【明は7(23)】

 

2-2「敦賀・柳ケ瀬山隧道西口間、長浜・柳ケ瀬間汽車運転の件」 明治15年(1882)3月7日

 明治15年3月10日からの、長浜・敦賀間の鉄道(後の国鉄柳ケ瀬線)開通を知らせる文書です。資料には、あわせて各駅の発車時刻と運賃も示されています。この時は柳ケ瀬隧道が貫通していなかったため、長浜から敦賀へ向かう乗客は隧道の手前で降り、徒歩で山を越えて柳ケ瀬山隧道西口駅で再び汽車に乗っていました。2年後の明治17年には隧道が開通し、大垣・長浜・敦賀が結ばれました。【明あ325-1(23)】

 

 

2-3「甲賀郡内東海道筋家棟川、由良谷川、砂川隧道図面  明治17年(1884)頃

 トンネルの開削技術は、街道の整備にも取り入れられました。湖南市にある大砂(沙)川は、東海道と交差するように流れる天井川で、長らく旅人の往来を妨げていました。そこで明治17年、川の下を通る隧道(トンネル)が開削されます。この隧道は、切石を積み上げた現役トンネルとしては日本最古のものといわれており、現在も道路トンネルとして使われています。本絵図には、笠をかぶって歩く人や人力車を利用する人などが描かれ、当時の人々の通行の様子を知ることができます。また、同じく大砂川の下を通る鉄道用の大砂川隧道(第4章で紹介する関西鉄道が開削)も、現在JR草津線のトンネルとして使われ続けています。【明な337(9)】

 

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