滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

滋賀県立公文書館の公式ホームページです。

県民共有の知的資源として歴史公文書等を県民等の利用に供するとともに、未来へ伝える役割を果たすために、様々な業務を行っています。

【重要なお知らせ】レファレンス(資料調査相談)受付の一時停止について(R8.10.20)

 現在、公文書館では業務運営上の都合により、レファレンス(資料調査相談)の受付を一時的に停止させていただいております。

 当館所蔵資料につきましては、以下の資料検索システムにて、キーワードや作成年代などからお探しいただけます。ぜひ御活用ください。

キーワード検索 - 滋賀県立公文書館所蔵資料検索システム(リンク)

 再開の時期が決まりましたら、当ページにてお知らせいたします。
 御不便をおかけし申し訳ございませんが、御理解と御協力をお願い申し上げます。

 

《増刷しました!》
『歴史公文書が語る湖国
 ー明治・大正・昭和の滋賀県ー』

 編 集 滋賀県立公文書館
 発 行 サンライズ出版
 価 格 ¥2,200(税込)
 発売日 2021年3月26日
 *詳細はこちら


《お知らせ》

1-1「日吉社事件に付願書并手続記録抜書」 明治6年(1873年)6月5日

 日吉神社は、比叡山の神々に対する山岳信仰と天台宗とが結びついた神仏習合の象徴として古くから信仰されてきました。一方で、明治維新によってできた新政府は、神道国教化政策の過程で神仏分離の方針をとります。これを発端に各地で仏教を排斥しようとする廃仏毀釈が起こり、日吉神社では全国に先んじて社司を中心とした激烈な廃仏毀釈が行われました。この史料は後に延暦寺の執行代が県に提出した事件経過の報告書で、二宮(現・東本宮)などの仏像や経典、仏具が焼き捨てられるといった被害状況が記されています。こうした廃仏毀釈を経て寺院建築や仏教美術は破壊・散逸が進みました。【明す18(21)】

 

1-2「古器物保全の件」 明治4年(1871年)5月

 明治維新に伴う近代化政策のなかで旧物破壊の風潮が生まれ、特に廃仏毀釈では寺院の仏像や文化財が破壊されたり売却されたりしました。これに加えて、海外への流出が進んだ結果、明治4年(1871年)、政府は「古器旧物」を分類して保全することを目的に、品目と所蔵者をまとめて提出するよう各藩府県に命じました。その後の全国的な文化財調査のきっかけになるなど日本の文化財保護の出発点といえます。【明あ7(123)】

 

 

 

1-3「旧彦根城郭保存仰出さる」 明治11年(1878年)10月15日

  彦根城は廃藩置県の後、兵部省(のちの陸軍省)の施設として利用されていました。しかし、明治11年(1878年)に城郭内の不用な建物が取り壊され、一部の建物が大津に移されると、彦根城は入札にかけられます。天守閣が800円で売却されることが決まり、足場をつくって解体作業が始まろうとしていたそのとき、明治天皇の北陸巡行に随行していた大隈重信がこの事実を知りました。大隈が明治天皇に奏上したことにより、特旨による取り壊しの中止と保存が決定します。所管は陸軍省のまま、滋賀県は下賜金を受けて保存策を講じることとなり、彦根城の取り壊しは回避されました。【明あ112(49)】

 

 

1-4「石山寺内法輪院並個人方営繕費入費につき照会」明治12年(1879年)6月16日

 第18代アメリカ大統領を務めたユリシーズ・グラントは、任期後に2年間の世界旅行に出ます。途中、国賓として2か月間日本に滞在しました。当時日本は、琉球王国を日本に帰属させて沖縄県とする琉球処分を断行し、清国は抗議していました。グラントは日清両国を仲介する役割を果たしたため、政府は手厚くもてなし、地方にも接待を要求します。コレラの流行を理由に京阪方面への来遊自体が中止になり実現はしませんでしたが、滋賀県では石山寺や三井寺等を訪れる予定でした。グラントをもてなすために、石山寺法輪院の土塀などが外務省の公費で修復されます。小規模かつ例外的な修理ではありますが、制度が整っていない時期に公費によって文化財が修理された貴重な例といえます。【明か20-2(1)】

 

 

 
 《お知らせ》
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