滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

3-1「天気予考に係る古諺俚語等取調書」 明治17年(1884)10月21日

 まだ天気予報がなかった時代、人々は日々の雲や空の様子を見て、過去の天気を参考にしたうえで今後の天気を予想していました。これらの先人たちの知恵は、諺などとして伝えられています。この史料は、県内の天気に関する諺などについてまとめ、中央気象台に報告したもので、例えば「湖中鼓ヲ撃ツガ如キ聲アルハ降雨ノ徴ナリ」などが記されています。【明う135-2(94)】

 

3-2「養蚕期及210日前後の天気予報について」 明治35年(1902)4月28日

 本県の天気予報は、まず気象と密接な関係のある農業上重要な、養蚕期間と出穂期(9月1日頃)に限って発表されました。まだラジオなどによる公表手段もなかったので、該当期間の天気予報は、彦根測候所より各郡役所へ通報され、郡役所が公衆へ周知することとされました。【明い212-1(120)】

 

3-3 「彦根測候所構内に暴風警報、天気予報掲示の件」 明治36年(1903)7月11日

 ラジオがなかった時代、天気予報を周知する方法のひとつとして考えられたのが、信号旗です。明治36年から、彦根測候所でも採用され、構内に掲揚されるようになりました。これは、風向が三角旗、天気は長方旗、気温の変動は三角長旒(りゅう)を用い、予報内容を色分けで掲示するものでした。【明い238-2(6)】

 

3-4「気象信号標式」 昭和11年(1936)

 資料3-3の信号旗の標式一覧です。晴れは「白」、曇りは「赤」、雨は「青」、雪は「緑」などの色分けにより、明日の天気がわかるようになっています。天気予報は測候所以外にも彦根町内に10数か所のほか、大津市役所などにも掲示されていました。【大た75-4(4)】

 

3-5「天気予報の啓発ポスター」 昭和11年(1936)3月28日

 測候所は天気予報普及のためにさまざまな啓発活動を行っていました。昭和11年刊行の『天気図の解説』では、その一環として啓発ポスターが掲載されました。「天気気象を巧みに利用する者は成功」「天気気象の利用を知らざる者は失敗」と、天気予報や警報が如何に重要であるかが表されています。【大75-4(6)】

 

3-6「天気予報の適中率」 昭和10年(1935)

 天気予報の当たりはずれは、正中、偏中、不中の三段階に分けられ判定されていました。昭和10年の事業報告書によると、その的中率は季節により変動はあるものの、およそ風向が88%、天気が89%程度であったようです。【大た75-4(5)】

 

3-7 「軍機により天気図等中止」 昭和13年(1938)5月28日

 日中戦争下において、軍事上の機密により地方天気予報、地方気象特報、地方暴風警報、天気図配布、及びラジオ放送が当分中止されました。また、中央気象台では気象情報の機密性を保つために無線発信回数を倍増し、時刻と暗号も変えて、真・偽の情報を流していると記されています。【大た74-1(8)】

 

3-8「特令暴風警報は公表のこと」昭和17年(1942)9月28日

 昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦に伴い気象管制が実施され、これが解除される昭和20年8月15日まで、気象通知電報や天気図の発行などは中止されました。しかし甚大な被害を及ぼすおそれのある暴風雨に対しては、「特令暴風警報」を発表し一般に周知することとされました。【昭お66(8)】

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