1-1 「測候所設置の件(第7回勧業諮問会諮問案)」 明治23年(1890)9月24日
明治23年10月に開催された第7回勧業諮問会では、第1諮問案として測候所の設置が取り上げられています。案では、「農業、衛生、治水」の3者から測候所の必要性が述べられ、告示により指定されている本県での測候所の早急な設置は、「全国ニ対スル義務」であると説明しています。【明て61-3(30)】
1-2「勧業費決議上申」 明治23年(1890)12月8日
明治23年通常県会における次年度予算についての議案で、勧業費として測候所の設置にかかる費用が取り上げられました。しかしこれは「一県ノ経済上不得止」と否決されてしまいます。翌24年の予算案でも前年同様否決され、議会の賛同が得られたのは、さらに翌年の25年のことでした。【明き15(12)】
1-3 「地方測候所の場所について」 明治42年(1909)2月26日
彦根気象台は、開設当時から同じ場所で観測を続ける気象台です。明治42年に文部省が測候所の設置場所の基準を示した文書では、将来も観測上障害となるものが設置される恐れがなく、管轄の全境界までの距離ができるだけ均等になるような場所がふさわしいとされています。【明あ223-3(25)】
1-4「(写真)彦根測候所」 昭和12年(1937)頃
県立彦根測候所は、明治26年10月1日に木造平屋建ての新庁舎において観測を開始しました。初代庁舎は老朽化が進み危険な状態であったので、昭和7年、同所にて鉄筋コンクリート造の新庁舎が建てられました。現存するこの庁舎では、今でも風向・風力等の一部観測業務が行われています。【昭こ39(6-1)】
1-5「管内気象観測所の位置」 大正15年(1926)6月26日
彦根測候所管内には、各地の天気(雨量・風向・風力・天気・雲量など)を観測し、測候所へ報告するための気象観測所がいくつかあります。観測所は県庁(大津観測所)や竹生島、伊吹山などをはじめ、大正15年の段階で30ヶ所にありました。【大あ58(20)】
1-6「伊吹山観測所気象観測開始」 大正8年(1919)1月15日
当時の県知事森正隆の提唱により、伊吹山頂の最高地に伊吹山観測所が設置され、大正8年1月1日から山岳気象観測を開始しました。昭和4年には彦根測候所よりも一足先に国営移管され、中央気象台附属伊吹山測候所となりますが、平成13年に廃止されるまで休みなく観測が続けられました。【大あ41(5)】
1-7「気象電報取扱規則」 明治25年(1892)5月
速報性の求められる気象観測業務を支えていたものの一つが、電信技術による気象電報です。気象電報とは、中央気象台と測候所などの間で送受信する、独自符号やルールに基づいた電報のことで、定期電報や予報電報、天気電報などの種類があります。この史料は、その取扱規則です。(国立国会図書館所蔵)
1-8「地方測候所国営移管に関する件」 昭和14年(1939)7月13日
気象事業が「航空軍事上益々重要」となったため、昭和13年から全国の測候所の国営化が進められ、同14年にはすべての測候所を国営化することとなりました。本県も、同年10月1日の移管期日に県彦根測候所を廃止し、測候所所属の財産はすべて中央気象台へ寄付するよう命ぜられました。【昭た503-1(6)】