滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

(21)「満州国皇帝陛下御来訪御日程概要」 昭和10年(1935)3月

 英国王太子エドワードを無事に応接した堀田義次郎ですが、大津市長時代にも、再び著名な外国貴賓をもてなす機会がありました。その人物とは、昭和9年に満州国皇帝に即位した愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)です。溥儀は即位の翌年4月、「日満友好」を示す目的で、昭和天皇に国賓として日本に招かれました。本文書は、滋賀県警察部が作成したその時の行程表です。2日に満州を発った溥儀は、6日に横浜港に到着。滋賀県は15日、京都に向かう途中に通過する予定でした。【昭か83(6)】

 

(22)「米原駅からの復命書」 昭和10年(1935)4月19日

 4月15日朝、特別列車で東京駅を発った溥儀は、午後4時55分より5分間、米原駅に停車しています。同駅に集められた奉送迎者819名(個人96名、団体723名)は、敬礼したまま発車を待ちました。本文書は、当日に整理・取り締まりにあたった坂本事務官の復命書です。溥儀は従者を通じて「雨中出迎へ感謝ス」と言葉をかけたようで、一同は「恐懼感激」したと報告されています。この日は、堀田義次郎も徐行運転がなされた大津駅で、溥儀を出迎えました。【昭か84(1)】

 

(23)「救護法該当者調査表」 昭和10年(1935)5月1日

 溥儀は日本を訪れた際、生活困窮者への救恤や社会事業の奨励のために、総額15万円を日本政府に寄附しています。そのうち半額は各府県に分配され、滋賀県にも1,000円が社会局より送付されました。そのため県は、5月1日に救護法(生活保護法の前身)該当者数の調査を市町村に指示。9月26日、被救護者1,053世帯(1,683人)に、1人60銭が分配されています。【昭そ25-2(1)】

 

(24)「大津駅入場希望者一覧」 昭和15年(1940)6月25日

 初来日から5年後の昭和15年6月、再び溥儀は日本を訪れています。この時も、大津市長を務めていた堀田義次郎は、広子夫人とともに大津駅で溥儀を出迎えました。溥儀の車両は、7月2日に東京から京都に向かう途中と、7月3日に京都から伊勢神宮への往復時に、大津駅を通過しています。奉送迎者となるには、市長や県会議員、弁護士会長、愛国婦人会の幹事など、一定の肩書きが必要で、希望者全員が入場できたわけではありませんでした。【昭か85(13)】

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