滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

(21)「国史編輯の儀に付照会」 明治8年(1875)11月14日

 明治政府は維新直後より、六国史に続く修史事業に着手します。明治7年11月、太政官は国史編纂の材料を収集するため、維新以後の県の沿革などを取りまとめ、正院歴史課に提出するよう府県に命じました。翌8年5月、滋賀県では庶務課に編輯掛が設置され、『滋賀県史』の編輯が始まります。本文書は、歴史課が示した「歴史編輯例則」に関する県からの照会原案です。立庁日は、大津裁判所・大津県・滋賀県のいずれに置くかなどを確認しています。【明あ246合本1(11)】

 

(22)「村誌編輯例則」 明治9年(1876)1月24日

 県庶務課編輯掛では、修史事業とともに、地誌編輯事業も担当しました。明治8年6月、太政官は「皇国地誌編輯例則」を示し、各府県に郡村誌の編輯を命じました。本文書は、県内の区戸長向けに、その例則を抜粋したもので、村ごとに調査事項を報告するよう指示しています。編輯事業は、滋賀郡から着手され、同9年7月には確認のため、草稿の一部が正院に提出されました。編輯部(掛)による校閲を経て、明治13年より順次製本されています。【明か2合本1(2)】

 

(23)「旧藩県史編輯類目」 明治10年(1877)

 編輯掛では、廃藩置県前後に滋賀県(大津県)に合併された、旧藩県史の編輯も担いました。明治10年2月、元犬上県典事の武笠資節と元水口県少参事の井崎興山に、旧県の沿革調査(月俸5円)を命じています。本文書は、その際示された編輯要項と見られ、凡例とともに記載すべき項目が細かく記されています。この類目に従い、彦根・膳所・水口・西大路・山上・宮川・大溝の7藩県史が編輯されました(彦根県は欠本)。【明さ82合本1(1)】

 

(24)『滋賀県史』『滋賀郡村誌』 明治期

 編輯掛の史誌編輯は、簿書専務(文書係)兼務の少属・伊藤紀(元円満院宮家来)の下で進められました。実務を担ったのは、元水口藩漢学者の山県順や、『淡海廿四勝図記』の著書がある安国清(福岡県出身)らで、掛設置後に順次雇い入れられました。県史の編輯は、明治17年度まで続き、第5編まで作成されました(第5編は欠)。一方村誌は、滋賀・野洲・甲賀の3郡は編輯されたものの、政府の方針転換により、途中で事業が打ち切られたようです。【行政資料60、339】

 

(25)園城寺并付属地境内図(県庁周辺図)

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