4-1「地券取調掛取扱心得方凡例書」 明治5年(1872)8月
普請所調査絵図と同時期に作製された絵図として、地券取調総絵図(壬申地券地引絵図)があります。地券とは、明治政府が発行した土地所有権を証明するための証券のことで、その際絵図が作製されました。明治5年8月、滋賀県は戸長・総戸長(後の区長)の中から各郡1名ずつ地券取調用掛を任命し、本資料を布達しました。その第16条において、地引絵図は後年の証拠となるので、1村につき2枚(県庁提出分と村方保管分)作製するよう命じています。【明い31-1(36)】
4-2「犬上郡第9区地券取調惣絵図」明治6年(1873)10月
本絵図は資料4-1に基づき作製された絵図で、一筆ごとに土地の境界・面積等が記されています。明治22年に土地台帳規則が施行され、地券制度が廃止された後も、県庁と戸長役場(町村)に備え置くことが定められた「野取絵図」としての役割を果たしました。県庁に提出された絵図は、現在当館や法務局では保存されておらず、その多くは県立図書館でご覧いただくことができます。本絵図は数少ない当館所蔵分の1枚です。【明へ63-1(2)】
4-3「伊香郡木之本村ほか合村絵図」 明治7年(1874)
江戸時代の村は現在と異なり、ある百姓がもつ土地が別の村に土地を所有する場合、その部分は土地所有者が属する村の村域とみなされていました。そのため村の境界は大変入り組んでおり、明治5年4月、太政官は村のなかの「分界」(飛び地)を廃止し、合併して1つの村とするよう命じました。本絵図は、明治7年5月に合併した木之本、南木之本、北木之本各村の絵図です。合併時の参考資料と見られ、各村の領域が赤・黄・緑で区分されています。【明へ18(4)】