5-1「村誌編集例則」 明治9年(1876)1月24日
明治39年3月、滋賀県では富山・石川・福井3県に職員を派遣し、文書事務の調査を行っています。本資料はその翌年、京都・大阪など18府県に送付した照会文です。その起案文には、滋賀県では書類の編纂方法が「単簡」に過ぎ、後日書類を探す上で「苦難ノ点」があるので、各府県の書類編纂規程を参考にしたいという調査意図が記されています。その後滋賀県では、数年間にわたって各府県の視察を行い、文書事務の抜本的な改革を目指します。【明か2-1(2)】
5-2「滋賀郡粟津村誌付図」 明治14年(1881)4月5日
編集事業は、滋賀郡から着手され、明治9年7月には確認のため、草稿の一部が太政官に提出されました。県に設置された編集部(掛)による校閲を経て、明治13年11月より順次製本されています。本資料は、明治5年10月に別保・膳所・中ノ庄の3村が合併してできた粟津村誌の付図です。近江八景の1つ「粟津の晴嵐」で知られる松並木が植えられた湖岸や、明治3年4月に廃城となった膳所城跡が描かれています。【資341】
5-3 「滋賀県坂本村誌付図(復刻版)」 明治15年(1882)1月15日
資料5-2のような村誌は、付図も含め昭和54年4月に滋賀郡のみ復刊されています。出版社の弘文堂は、当時『近江蒲生郡志』や『高島郡誌』など、大正・昭和初期に編さんされた郡誌の復刊を進めており、『近江国滋賀郡誌』の一部として出版されました。補註者の宇野健一は、本県では「犬上と滋賀のみが郡誌が無いため非常に不便を免れざるを得なかった」ため、本書の刊行は意義深いと述べています。市販の刊行物のため、図書館等で手軽に利用することができます。(当館蔵)