展示期間 令和3年5月6日(木)~令和3年7月29日(木)
大河ドラマ『青天を衝け』の主人公渋沢栄一が注目を集めていることから、当時の銀行にも関心が集まっています。渋沢は明治5年(1872)に国立銀行条例を発布し、翌6年太政官を退官して第一国立銀行を設立しました。滋賀県内でもこうした気運を受け、多くの銀行が登場してきました。県下に本店を置く最初の銀行である第二十一国立銀行(長浜)や、現在の滋賀銀行の前身のひとつである第百三十三国立銀行(彦根)などはその一例です。また農村部においても、地主たちの設立による江頭農産銀行(近江八幡)や近江商人たちの設立による湖東銀行などが誕生し、県内の経済発達を支えていきました。
しかしこうした多くの中小銀行も、昭和2年(1927)の昭和金融恐慌によって引き起こされた諸銀行の休業問題(栗太銀行や近江銀行など)・取付け騒ぎなどに直面して次第に淘汰の時期を迎えることになります。今回の展示では、滋賀銀行誕生までの県内における銀行史を紹介します。
1 国立銀行の設立 | 2 大津の実業家と商工会議所 |
3 地域経済を支えた民間 | 4 恐慌の時代へ |
5 滋賀銀行の設立 |
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- 作成者:滋賀県立公文書館
- カテゴリー: 明治の銀行
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展示期間 令和2年6月29日(月)~令和2年9月24日(木)
国際交流が盛んとなっている現代ですが、滋賀県にも明治以降多くの外国人たちが来県しました。初期のころは、江戸時代に見られた攘夷の風潮や未知なる存在への恐れなどにより、その距離感を模索していた時期といえます。当館に残されている資料にも、外国人に対して粗暴なふるまいを禁じたり、対応の心得を説いたものが多くみられます。
その一方、県は西洋の新知識に根差した実学の教育を目的とする欧学校の設立などの開化政策を推し進め、御雇外国人と呼ばれる人々を招聘します。彼らがもたらした土木や鉄道、通信などの技術は、その存在感と共に身近なものへと変わっていきました。
そのような中で活躍した代表的な外国人としては、オランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケや伝道師、建築家、実業家として知られているウィリアム・メレル・ヴォーリズなどが挙げられます。
今回の展示では、滋賀県で活躍した外国人の様子を公文書により紹介します。
1外国人との接し方と開化政策 |
2活躍する外国人 |
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- 作成者:滋賀県立公文書館
- カテゴリー: 明治の銀行
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2-1「大津商法会議所設立願」 明治12年(1879)10月15日
大津市内の有力実業家は、明治12年の2月に茶話会や座談会の目的として「商法会話」を設立、規模拡大とともに名を「商法会」と改めました。力を認めた県から会を公的な機関とするよう勧められたこともあり、10月には史料の願いのとおり大津商法会議所が発足します。【明う29-1(19)】
2-2 「大津商法会議所設立布達」 明治15年(1882)2月23日
明治15年、商法会議所は改組され公立となることになりました。県令籠手田安定は、大津商法会議所を組織する総代人を商業に関する各営業者から選挙するよう求めた諭達(通達事項)を出します。この後6月には各業者の代表者82名が選出されます。【明い135-1(-)】
2-3 『大津商工会議所沿革史』 昭和18年(1943)9月
明治16年5月、政府の通達により各都市に勧業に関する組織の設立が促されます。これを受けて大津商法会議所は公立の商工業者の組織設立を滋賀県に建議しました。これによって翌17年5月21日、大津商工会議所が設立され、高谷光雄が会頭に就任します。【資521】
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- 作成者:滋賀県立公文書館
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