滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1-1「水害概況報告第5回」 明治29年(1896年)9月25日

 明治29年(1896年)8月30日から9月初旬にかけて、滋賀県は豪雨に見舞われました。この資料は蒲生郡長から知事への水害概況報告で、琵琶湖の水位が急上昇し、約4メートル増水した地域もあったそうです。避難者は家財道具や食料を運び出す間もなく、着の身着のまま逃げてきたことや、押し流された木に家が引っかかり一命を取り留めた人々を救助したことなど、当時の混乱した状況が記録されています。【明は10(29)】

 

1-2「風災の状況報告」 明治29年(1896)9月1日

 水害に加えて風の影響もあり、神崎郡(現・東近江市)の沿湖の各村ではほとんどの家屋が破損していました。また、食料の貯えもなく、郡内では炊き出しも行っていたようです。本資料には、稲が変色したため収穫量の減少が見込まれることなど、先行きを不安視する報告が綴られています。【明は9(49)】

 

 

 

1-3「災民救助規則」 明治29年(1896年)10月5日

  冠水した町の人びとは、家屋の流出等によりたちまち生活に困窮したため、県は食料の支援を行うための規則を定めました。独身で60歳以上15歳未満の人や病にかかっていて働けない人などを対象としています。また家族の人数に応じて支給額が異なりました。 【明こ195(47)】

 

 

1-4「野洲郡での浸水被害」(『琵琶湖治水沿革誌』所収) 明治29年(1896)9月~10月頃

 水害の際に、野洲郡北里村(現・近江八幡市)で撮影された写真です。家の上に上がって避難している人が見えます。水が引くまでは、船で移動していたようです。琵琶湖の水位は徐々に低下したようですが、常水位に戻ったのは2か月後のことでした。【資524】

 

 

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