滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

4-1「琵琶湖疏水式場へ臨御次第」 明治23年(1890年)4月9日

 琵琶湖疏水は明治23年3月に完成し、翌4月9日には天皇・皇后を迎えて竣工式が行われました。本資料は当日の天皇・皇后の予定行程を記したものです。予定では、三保ヶ崎で閘門(こうもん)を見学した後、鹿関橋から蹴上までの間の疏水を船で下ることになっています。しかし実際には、その代理として熾仁(たるひと)・彰仁(あきひと)両親王が乗船しました。【明か4-2(87)】

 

4-2「京都疏水通船株式会社設立目論見書」 明治27年(1894年)11月24日

 琵琶湖疏水における「旅客ノ運送」を目的とした京都疏水通船株式会社の目論見書です。大津町や京都市在住の発起人8名から免許の申請が出され、12月11日に農商務大臣より許可されています。疏水の舟運は戦後すぐに一度廃止されますが、平成30年には約70年ぶりに復活しています。【明て67(44)】

 

4-3「疏水経由移出貨物最近10ケ年統計表」 昭和7年(1932年)12月

 疏水によって、人だけでなく様々な物資も輸送されました。この表は大正11年から昭和6年までの10年間における、疏水によって移出された貨物量を示したものです。石材などの建設用材や穀類・魚類などの食料品が取り扱われています。表からは、年々取扱量が減少していることもみてとれます。【昭ぬ122(1-6)】

 

4-4『琵琶湖疏水及水力使用事業』(京都市電気局) 昭和15年(1940年)3月31日

 疏水の最も重要な目的は、水力利用にありました。明治24年11月に京都時計製造会社へ1馬力の電力供給が始まり、水力発電事業がスタートします。しかし当時は電気の利点がまだ理解されておらず、同年の一般需要はこの1馬力のみでした。その後漸次需要が増加し、明治31年度には2,000馬力の発電量をもってしても電力が不足する事態となりました。【資526】

 

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