滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

5-1「第二太湖丸図」 明治19年(1886)11月4日

 湖東地方の鉄道敷設までという期限付きで政府と鉄道連絡船営業を契約した太湖汽船会社は、大型の鋼鉄船「第一太湖丸」「第二太湖丸」を新造しました。明治20年には、明治天皇も京都からの帰路で第二太湖丸に乗船しています。しかし、当初30年間であった契約でしたが、7年という予想外の短期間で東海道線が開通します。私鉄や鉄道の発展によって収入は激減し、輸送の役目を終えた汽船は、遊覧業へと転換していくことになりました。展示の資料は、天皇乗船のための調査資料に添付の第二太湖丸の図面です。【明か6(2)】

 

5-2「湖南汽船航路案内図」 大正5年(1916)1月

 湖南汽船は明治5年に大津紺屋関で創業した紺屋関組が前身となります。堅田より南を営業地区としていました。この文書は初代社長の谷口嘉助が、農商務大臣から褒章された際の調書の資料となります。4つの定期航路が描かれており、特に南郷坂本間は「至る処風景佳絶」で、「乗心地よき新式遊覧船」が絶え間なく航行していたようです。その後、同社は現在に至る「竹生島めぐり」の考案など琵琶湖観光の創始を担いました。【明え283(27)】

 

5-3「太湖汽船チラシ」(『滋賀県商工人名録』) 昭和14年(1939)9月1日

 このチラシは、昭和12年に滋賀県商工総合会が県内個人事業主の資料をまとめた書籍に入っているものです。チラシに記載されている「京阪丸」は昭和3年、湖南汽船が新造した船を京阪電鉄が傭船したもので、琵琶湖鉄道汽船の豪華観光船みどり丸と観光客争奪戦を繰り広げました。昭和4年、琵琶湖鉄道汽船の汽船事業を吸収した湖南汽船は改称し、2代目の太湖汽船株式会社となります。昭和26年に、現在の社名である琵琶湖汽船株式会社へ改められました。 【資511】

 

5-4「第3回びわ湖少年の船 記念写真」(初めての「うみのこ」での実施) 昭和58年(1983)12月25日~28日

 昭和55年に「びわ湖少年の船」事業が始まります。小学5年生を対象とし、フローティングスクールの先駆けになった教育事業でした。本資料はその内、琵琶湖の女王「玻璃丸」の引退に伴い、初めて学習船「うみのこ」を用いて実施されたときの写真です。鉄道により一度は役目を終えかけた汽船ですが、遊覧・学習の場・環境調査など、その後も多彩に役割を変化させ、現在に至るまで人と琵琶湖を結び続けています。【令2-2533(1)】

 

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