滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

 

2-1「水理堤防平均修繕費調査の布達」 明治6年(1873)8月2日

 明治6年8月、大蔵省は河港道路修築規則を制定します。全国の河川や港、道路等を3等に分類し、等級に応じた工事の負担方法を定めました。1等は利害が数県に関わるもの、2等は一県域にとどまるもの、3等は市・郡域にとどまるものとされ、資料1-4の通り、3等には原則官費の支給が認められなくなりました。ただし今後5年間は、これまでの年平均額の予算が認められ、大蔵省は本資料で官民の平均改修費を調査するよう府県に求めました。【明あ85(12)】

 

2-2「絵図面仕立方大概」 明治6年(1873)12月8日

 河港道路修築規則は、工事の利益を享受する者がその費用を負担すべきという、「近代的」租税観念に基づく法令でした。そのため、工事費用の負担者を確定するには、これまでの慣習だけでは不十分で、実際の利害関係を調査する必要がありました。そこで12月7日、土木専務(後の土木課)は、堤防や橋梁等の絵図面(普請所調査絵図)を提出させてよいか県令に伺い出ます。松田県令は即日決裁し、翌日絵図面の記載事項を定めた本資料が各村に布達されました。【明い45-1(23)】

 

2-3「道路堤防橋梁修築経費等進達書」 明治8年(1875)1月

 資料2-1の布達に対する県の回答書です。過去3年間の道路・堤防・橋梁等の工費と、河川・道路の等級調査書が添付されています。明治7年5月から土木専務では、道路・橋梁等の実地調査を進めていましたが、この時点では未完了だったようで、等級は「川々筋絵図面」を用いた概略区分にとどめたと注記されています。この参考資料こそ、資料2-2に基づき作製された普請所調査絵図と考えられ、官員たちの実地調査を補う役割を果たしたことが伺えます。【明な275-1(23)】

 

2-4「地方官会議御下問条々の意見書」 明治8年(1875)5月

 明治8年の地方官会議(地方官会同が改称)の下問に対する、権令(後の知事)籠手田安定の意見書です。「官租税ヲ収ルハ其国ヲ保護スルカ為ナリ」として、1等から3等までの改修費を全て官費とするのは、「政府ノ本分」だと主張しています。もちろん、維新直後の支出がかさむ時期なので、民費負担は避けられないとしつつも、3等でも半額の官費負担を求めています。同じ地方官でも、税に関する考え方には、松田と籠手田で大きな違いがあったようです。【明な275-1(33-1)】

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