展示期間 令和2年1月27日(月)~令和2年3月26日(木)
平成30年(2018年)の西日本豪雨をはじめ、近年災害が相次いで発生しています。気象情報はこれら災害に対処する重要な手がかりでもあり、また、過去の災害データの収集、分析は、防災のための調査研究にも役立てられています。
このような気象業務を担う滋賀県彦根測候所(現・彦根地方気象台)が明治26年(1893年)9月、犬上郡彦根町大字丸之木第54番地(現・彦根市城町2丁目5番25号)に設立され、翌月の10月1日より観測事業を開始しました。また、大正7年(1918年)12月には測候所管内に山岳観測史上、最深積雪世界一の記録を持つ伊吹山観測所も設置されました。
現在では身近に知ることができ、日々の生活になくてはならない天気予報が普及したのも、この測候所ができてからのことです。
彦根測候所は昭和14年(1939年)に国営移管されて県営の時代を終えますが、現在も彦根地方気象台としてその使命を引き継ぎ、私たちの生活を支えてくれています。
今回の展示では、県内の気象事業が大いに発達した彦根測候所の県営時代の様子について、特定歴史公文書等からご紹介したいと思います。
1 県彦根測候所の時代 | 2 県測候所のしごと |
3 天気予報のはじまり | 展示図録 |
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- 作成者:滋賀県立公文書館
- カテゴリー: 滋賀を科学する―県彦根測候所のはじまり―
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1-1 「測候所設置の件(第7回勧業諮問会諮問案)」 明治23年(1890)9月24日
明治23年10月に開催された第7回勧業諮問会では、第1諮問案として測候所の設置が取り上げられています。案では、「農業、衛生、治水」の3者から測候所の必要性が述べられ、告示により指定されている本県での測候所の早急な設置は、「全国ニ対スル義務」であると説明しています。【明て61-3(30)】
1-2「勧業費決議上申」 明治23年(1890)12月8日
明治23年通常県会における次年度予算についての議案で、勧業費として測候所の設置にかかる費用が取り上げられました。しかしこれは「一県ノ経済上不得止」と否決されてしまいます。翌24年の予算案でも前年同様否決され、議会の賛同が得られたのは、さらに翌年の25年のことでした。【明き15(12)】
1-3 「地方測候所の場所について」 明治42年(1909)2月26日
彦根気象台は、開設当時から同じ場所で観測を続ける気象台です。明治42年に文部省が測候所の設置場所の基準を示した文書では、将来も観測上障害となるものが設置される恐れがなく、管轄の全境界までの距離ができるだけ均等になるような場所がふさわしいとされています。【明あ223-3(25)】
1-4「(写真)彦根測候所」 昭和12年(1937)頃
県立彦根測候所は、明治26年10月1日に木造平屋建ての新庁舎において観測を開始しました。初代庁舎は老朽化が進み危険な状態であったので、昭和7年、同所にて鉄筋コンクリート造の新庁舎が建てられました。現存するこの庁舎では、今でも風向・風力等の一部観測業務が行われています。【昭こ39(6-1)】
1-5「管内気象観測所の位置」 大正15年(1926)6月26日
彦根測候所管内には、各地の天気(雨量・風向・風力・天気・雲量など)を観測し、測候所へ報告するための気象観測所がいくつかあります。観測所は県庁(大津観測所)や竹生島、伊吹山などをはじめ、大正15年の段階で30ヶ所にありました。【大あ58(20)】
1-6「伊吹山観測所気象観測開始」 大正8年(1919)1月15日
当時の県知事森正隆の提唱により、伊吹山頂の最高地に伊吹山観測所が設置され、大正8年1月1日から山岳気象観測を開始しました。昭和4年には彦根測候所よりも一足先に国営移管され、中央気象台附属伊吹山測候所となりますが、平成13年に廃止されるまで休みなく観測が続けられました。【大あ41(5)】
1-7「気象電報取扱規則」 明治25年(1892)5月
速報性の求められる気象観測業務を支えていたものの一つが、電信技術による気象電報です。気象電報とは、中央気象台と測候所などの間で送受信する、独自符号やルールに基づいた電報のことで、定期電報や予報電報、天気電報などの種類があります。この史料は、その取扱規則です。(国立国会図書館所蔵)
1-8「地方測候所国営移管に関する件」 昭和14年(1939)7月13日
気象事業が「航空軍事上益々重要」となったため、昭和13年から全国の測候所の国営化が進められ、同14年にはすべての測候所を国営化することとなりました。本県も、同年10月1日の移管期日に県彦根測候所を廃止し、測候所所属の財産はすべて中央気象台へ寄付するよう命ぜられました。【昭た503-1(6)】
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2-1「大津観測所気象観測表」 明治25年~昭和10年
資料1-6の各地の観測所のうち、大津観測所(県庁)での観測記録です。大津観測所では毎日、土木課がその日の天気や雨量、風向風力などを観測し、ひと月分をまとめて彦根測候所へ報告していました。明治25年から昭和10年までの記録が本県に残されています。【明ね12、明た45、大ね9】
2-2「伊吹山観測所最深積雪量の記録(昭和2年2月14日観測)」 昭和11年(1936)12月
昭和元年から2年にかけての冬、滋賀県は未曾有の豪雪に見舞われ、伊吹山山頂では5m以上の積雪が5か月、10m以上の積雪が2か月も続きました。2月14日には、その最深積雪はついに11m82cmを記録し、山岳観測史上、最深積雪世界一として今でもその記録は破られていません。【昭た502(2)】
2-3「姉川地震における測候所の観測及び余震」 明治42年(1909)
彦根測候所では、明治27年から地震計が設置されていました。この文書は、測候所が明治42年8月14日の姉川地震について記録したもので、午後3時31分に急に横揺れと縦揺れがはじまり、あまりの揺れに地震計が故障したと記されています。【明ふ162-1(4)】
2-4「琵琶湖の水深図」 明治42年(1909)8月3日
明治43年開催の日英博覧会で出展する琵琶湖の模型を作製するための資料として、測候所が県に提出した琵琶湖の水深図です。彦根測候所は明治40年から41年にかけて琵琶湖の科学的調査を実施しており、その調査結果をもとに製図したと考えられます。【明て84-1(14)】
2-5「日食観測写真」 昭和11年(1936)6月19日
測候所の事業のひとつに太陽の観測があり、日射の観測や太陽黒点の観測なども行っていました。また、昭和11年6月19日に日本で日食が観測されたときには、彦根測候所も数分ごとに写真を撮り、気圧や気温、雲量などの詳細な観測記録を残しています。【大た75-4(43)】
2-6「国友一貫斎の太陽観測図」 昭和15年(1940)頃
安永7年に坂田郡の幕府御用鉄砲鍛冶職の家に生まれた国友一貫斎は、その独創性と卓越した技術を以て、多くの新武器、新器具の考案発明に成功しました。そのひとつが、天保6年に完成した既存のものよりも性能の良い天体観測用望遠鏡で、国友はこの望遠鏡で太陽黒点の観測などを行いました。この絵ハガキは、長浜市政施行に向けた調査で収集されたものです。【昭こ371-1(3-3)】
2-7「気象上より観察したる農耕代表地」 大正15年(1926)頃
大正14年ごろから農事試験場移転の必要性が議論され始め、より良い場所を選ぶために土壌、気象、交通の三方から調査が進められました。彦根測候所も気象に基づく本県農耕代表地を調査し、近江八幡や草津、河瀬などの候補地を挙げています。最終的には栗太郡治田村に移転が決定されました。【大た73(27-2)】
2-8「斎田気象関係調査復命書」 昭和3年(1928)3月6日
昭和3年、大嘗祭の悠紀地方として滋賀県が選ばれると、県内で斎田選定のための各種調査がはじまりました。彦根測候所も候補地の気象関係調査を行い、最終的に斎田に決定した野洲郡三上村については「管内ニテ最モ高温(十五度以上)ノ地域デアルカラ最適ノ候補地」と報告しています。【昭た452(11)】
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