1‐1「旧水口藩学制志(草稿)」 明治16年(1883)8月15日
水口藩の教育制度や実情をまとめたもの。江戸時代の教育施設である藩校・翼輪堂(安政2年(1855)開校。明治3年尚志館と改称)や家塾・寺子屋が明治維新後も廃藩置県まで存続していたことがわかる。また、庶民であっても「藩士ト均シク」藩校に通学することが許されていたことや、藩外での遊学を認めていたにもかかわらず、専ら藩儒・中村栗園のもとで学び「他国ニ出ル者ナシ」といった教育状況も記されており、身分にこだわらない学問環境を整備しつつも藩士・藩民の学問姿勢は内向きだったことがうかがえる。【明し162】
1‐2『水口県史』「学校」の項
明治4年(1871)7月、廃藩置県により水口藩は水口県となる。水口県では「県学」(藩校尚志館)と「小学」(小学校)を設置し、7・8歳児を「小学」に入れて素読・習字・算数を学ばせ、習熟者を「県学」に進学させる制度をつくる。「幼齢」期の学問の「習熟」を特に重視していた水口県の意識がうかがえる。しかし、実際には小学校設置にいたらず、「県学」に「小学」を兼ねさせたため、従来の藩校教育と変化となく、同年11月に水口県が大津県に統合されたことで、水口県による小学校設置は実現に至らなかった。【滋賀県所蔵】


