滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

3-1「矢橋浦保勝会 服部浄信歎願書」大正9年(1920年)7月29日

 美しい景観をよく残し、世界の観光地として注目された滋賀県ですが、近代化によって失われた風景もあったようです。「近江八景」のひとつ矢橋浦は、江戸時代、歌川広重の「矢橋の帰帆」で知られる美しい風景を備えた港町でした。ところが、鉄道の普及と汽船の運航といった近代化のあおりをうけ、町を往来する人の数は減少。町は衰退の一途をたどります。この歎願書によれば、矢橋は「諸国よりの来訪者をして唾してその不潔と俗化をさけばしむ」というありさまだったようで、著者の服部は汽車や汽船の煙や鉄橋が比叡の晴嵐や琵琶湖にうつる夕日を奪ったと述べています。とはいえ、鉄道や汽船の普及の前に服部の歎きは通用しませんでした。【大せ35(8)】

 

3-2「保勝会保存会等の指導に関する件」大正10年(1921年)5月23日

 滋賀の風景が観光地として注目されたことで、景観の保存にも熱が入るようになり、県内各地で史跡・名勝の保存を目的とする保勝会の設立が増加しました。風光調査を委嘱された本多静六も、観光地となる史跡・名勝の保存は、その活動実績がある保勝会に一任するべきだと『滋賀県風光調査報告』で述べています。ところが、史跡・名勝の保存といっても、観光地として活用し「地域繁栄ノ具ニ供スルヲ目的」とする場合が多く、「現状ノ維持ヲ目的トスル保存法ノ精神」を忘れ、現存しない建築物を勝手に復元するといった行為が横行してしまいます。観光資源としてその存在価値が見直された史跡・名勝ですが、地域経済の活性化を重視するあまり、史跡保存のもつ本来の目的を見失ってしまうことがあったようです。【大せ34(8)】

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