2-1「風光調査に関する件」大正3年(1914年)8月5日
大正元年(1912)、「公園の父」と呼ばれた本多静六は、大津で開催された講演会で、スイスを例にあげ「美しい風景を有する滋賀は世界の観光地として通用する」と主張しました。ここに、滋賀の風景を世界に売り込んでいく取り組みがスタートします。大正3年、県は「風光調査」と題し、観光地となりそうなスポットの調査を本多に委嘱します。右の史料は調査先を記したものです。延暦寺や彦根城といった史跡だけでなく、養魚場やボート競争場などの娯楽施設もみえます。風景だけではない、あらゆる観光資源の掘り起こしがなされたことがわかります。【大て12(3)】

2-2『滋賀県風光調査報告』大正4年(1915年)3月
本多静六によって行われた風光調査の結果は、翌年、報告書にまとめられます。県内の史跡・名勝を世界の人々が訪れる観光地にしていくにあたり改善すべき点があげられています。例えば冒頭にあげた瀬田中島について、本多は、景色の他に見るべき施設がなく、むしろ水量実験所や旅館、電柱が景観を損ねていると辛辣な評価を下しています。そのうえで、それらの施設を撤去し、新たに公園施設をつくるようにと提言しています。世界に通用するとされた滋賀の風景ですが、より美しくみせる工夫が必要とされていたようです。【大て11(3-2)】

