滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1‐1「鉄道製造に付、測量として御雇外国人共出張の件達」 明治3年(1870年)6月

 明治2年11月10日(西暦では1869年12月12日)、明治政府は廟議(びょうぎ・朝廷の評議)で東京・京都間と東京・横浜間、琵琶湖辺・敦賀間、京都・神戸間の鉄道敷設を決定します。この史料はその翌年、太政官から大津県へ宛てて測量のためにお雇い外国人を引き連れて出張する旨を通達したものです。実際に測量のための杭が立てられたのは翌年6月以降のようですが、その杭が抜き取られたり、測量目標用の「鉄道旗」が紛失したりと、鉄道建設への人々の妨害も多かったようです。鉄道とは何か知らない人々にとっては、測量事業は自分の土地を侵犯する脅威と感じられたのかもしれません。【明う151(16)】

 

1‐2「鉄道路線に付通知」 明治4年(1871年)8月22日

 明治4年8月21日、工部省より大津県へ大津・京都間鉄道の経路が通達され、翌22日にその内容が滋賀郡二番組惣代へ通知されます。この時点では追分から小関越えで三井寺下へ抜け、そこから北保町に存在した金沢県蔵屋敷(元加賀藩蔵屋敷)まで路線を引くという計画でした。しかし、同年10月28日、この蔵屋敷が売り払われるという情報が大津県に入ります。11月4日には、この蔵屋敷の売却について鉄道寮と金沢県西京出張所が話し合いを行うのですが、すでに蔵屋敷は入札済みとのことで鉄道寮はこの蔵屋敷までの鉄道敷設を諦めるのでした。【明と1(13-2)】

 

1‐3「鉄道建築に付、工部省達(京都から大津)」 明治11年(1878年)6月21日

 京都から大津への鉄道敷設を通知する工部省達を滋賀県が書き写してまとめたものです。続けて明治12年10月10日付の米原・敦賀間鉄道敷設の工部省達と、明治15年5月5日付の長浜・関ヶ原間鉄道敷設の工部省達が写されています。大津・京都間の工事は外国人の力を借りず、日本人のみの手で完成させた最初の鉄道工事でした。工事は明治13年6月に竣工、7月14日に明治天皇を迎えての開業式が行われ、翌15日から営業運転が開始されました。この区間の開通によって、大津から神戸まで鉄道でつながるのです。 【明と3-4(1-1)】

 

1‐4「大谷駅構内図」

 「明治21年各停車場構内図」と名付けられた15枚の図面のうちの1枚。他の構内図の中に、明治24年(1891年)に設置され32年に廃止された深谷駅の構内図も含まれているため、明治20年代後半の図面だと思われます。当時の大津・京都間の路線は、現在のルートとは異なっていました。京都駅から現在のJR奈良線を南下し、稲荷山の南を迂回して北東へ曲がり、大津市大谷町から逢坂へと至る逢坂山トンネルを抜けて馬場停車場(現JR膳所駅)へ到着、スイッチバックで大津乗車場(現浜大津駅)へと向かっていたのです。大谷駅は逢坂山トンネル西口に位置していました。大谷駅は、大正10年(1921年)の東海道線の付け替えにより逢坂山トンネルとともに廃止されました。【明と24-1(7)】

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