滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

4-1「籠手田県令の祝文」 明治12年(1879)4月20日

 明治12年4月15日、県内各郡から選出された最初の県会議員64名が県庁に招集されました。籠手田県令は、議員が県会の運営に未熟なことを考慮して、議事運営の実習に16・17日をあて、18日には懇親会も開きました。そして20日は開場式が開催され、籠手田県令より祝文が読まれます。地方税を設ける以上は、県会を開いて議員の意見を聞かなければならないと、県会開催の意義を訴えました。『滋賀県会歴史第1編1』(滋賀県蔵)

 

4-2「議事細則」 明治12年(1879)4月23日

 第1回滋賀県会において、最初に話し合われた議題は、県会運営の規則を定めた「議事細則」でした。会議は午前9時に始まり午後4時に終わる、議事の終始は号鐘をもって知らせる、私語をつつしむなど、県会運営に関わる基本的な事柄が定められました。この県会では、郡役所設置や捕卒(警察)設置、書籍縦覧所(図書館)の設置などの建議が出されましたが、県令と県会が根本的に対立するような紛糾した事態にはなりませんでした。 『明治12年県会書類』(滋賀県蔵)

 

4-3「第1回県会出席議員」 明治12年(1879)5月21日(推定)

 最初の県会に出席した議員たちは、本籍を滋賀県下におき、満3カ年以上県内に居住し、10円以上の地租を納める満25歳以上の男子から、県内各郡3~5名ずつ選出されました。県下に本籍をおき、5円以上の地租を納める満20歳以上の男子による投票で選ばれています。有権者は地租納入者に制限されたため、都市部に極度に少なく、郡部に圧倒的に多く、県会議員は農村に住む地主たちの代表という性格を強く帯びるものでした。 (『滋賀県議会史』第1巻所収)

 

4-4「備荒儲蓄法をめぐる審議」 明治13年(1880)12月1日

 初期の滋賀県会において大きな波紋を呼んだのが、明治13年に制定された備荒儲蓄法に関する審議でした。12月1日より臨時県会が開催されますが、同法は「我県民情ニ適セサル」ため、その得失を熟考する必要があると、審議を翌年度に延期することが決まりました。しかし内務省の強い指示により再議が命じられ、関連議案は修正可決することになります。滋賀県民にとって、同法の施行は、人民の自治に対する政府からの過度な介入と映ったのです。(『明治13年県会日誌』滋賀県蔵)

 

4-5「滋賀県の区制区域」

 明治5年(1872)2月より滋賀県では、新たな行政単位として、いくつかの町村を合わせて区が設置されます。郡ごとに7~22の区が置かれ、「○○郡第○区」というように番号が割り振られました。全国的には県域をいくつかの大区に分けた上で、そのもとに小区が置かれましたが、滋賀県では旧来の郡のもとに区が置かれ、1区当たり平均11.9町村が所属しています。同制度は、明治11年7月22日に郡区町村編成法が制定されるにともない、廃止されました。(『滋賀県市町村沿革史別冊』)

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