滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

2-1「滋賀県庁舎新築移庁舎余興煙火順番記」 明治21年(1888)

 旧県庁舎の円満院が手狭になったため新築された滋賀県庁舎の完成は、地元大津町民にとって、長らく待ち望んだ悲願でした。寄付金などの形で協力してきた人々は、移庁式当日、祝賀ムードに包まれます。この史料は完成を祝って琵琶湖上で打ち上げられた花火の目録です。昼に22発、夜に35発、合わせて57発の花火が野洲町の関係者から提供され、新しい県政の舞台を彩りました。【明お47(1)】

 

2-2「県庁ヲ犬上郡彦根町ニ移スノ建議」 明治24年(1891)12月16日

 通常県会の最終日12月16日に神崎郡選出の磯部亀吉が提出した建議をきっかけとして、彦根町に県庁舎を移転する論議が始まりました。建議は可決され内務大臣品川弥二郎に提出されます。建議はその中で、鉄道が合流する草津や米原の中間に位置する彦根は交通網が発達して便利であり、大津町より多くの人口を有する点においても県庁を置くことが当然である、と論じています。【明き2(4)】

 

2-3「初めての県会中止命令」 明治24年(1891)12月22日

 新築間もない県庁舎から彦根への県庁移転建議が突如提出され、当時記された県会日誌には県会の緊迫した模様が記されています。移庁建議の混乱を鎮めるため大越亨知事は、県政史上初めての県会中止命令を発しましたが、当時の大越知事は瀬田川の鉄橋架設問題や坂田・東浅井郡合併問題などの対応をめぐり議員から批判を受けており、県会はさらなる混乱へと突き進むことになります。(『県会日誌』議会事務局蔵)

 

2-4「県庁ヲ彦根町ニ移ス滋賀県会ノ決議ニ付建白書、進達之件」 明治25年(1892)1月7日

 彦根への県庁移転に反対する大津町、堅田村、真野村、朝宮村、長野村在住3,701名からなる署名建白書です。京都、大阪に近い地理的状況や水運、陸運の両面から大津の県庁所在地としての利点を列挙しています。大津やその近在の人々も彦根への移庁案に反対し、交通の要衝である大津に引き続き県庁が置かれることを願っています。 【明お49-2(6)】

 

2-5「滋賀県会解散始末」 明治25年(1892)3月15日

 近江新報社が発行した、県庁移転騒動をまとめた一小冊。二度にわたる大越知事の県会中止命令などで混乱をきたした県会は、結局2月8日に至って内務大臣品川弥二郎の権限により県会解散となりました。本書では、愛知川御幸橋陥落事件や坂田郡・東浅井郡分合問題なども言及したうえで、県庁移転騒動について述べています。県会の中止と解散を「全国稀有の珍事にして紛々擾々、其間記すべき事頗る多く」と批判的に記しています。【明お52(40)】

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