1‐1「接収家屋改造工事仕様書」 昭和21年(1946)
進駐軍の少佐とその家族が住むために請負業者から提出されたもので、滋賀県に引き継がれた京都市山科接収住宅の家屋を改造するための仕様書です。家は木造3階建てで改造項目は22ヶ条におよび、床のフローリング張りやブラインドの取付け(No.1)、ガラス戸の新設や出入り口の洋風化(No.5)、ガレージの新設(No.22)などの項目が定められています。【昭06-6(1)】
1‐2「進駐軍用住宅地接収につき代用土地要求の嘆願書」 昭和21年(1946)11月3日
柴野和喜夫知事に提出された、大津市の耕作者6名の連署からなる嘆願書です。彼らの土地は、戦前に皇子山射撃場用地として買い上げられ、陸軍少年飛行兵学校練兵場を経て、戦後は進駐軍用住宅地となり、なかなか手元に戻ってきませんでした。嘆願書では、離農者続出を憂い、希望する代用土地の提供を願い出ています。【昭06-16(14)】
1‐3「旧軍用地正式返還促進の依頼書」 昭和22年(1947)5月30日
開拓課長から渉外課長に提出された旧軍用地返還を求める史料です。ここで述べられている八日市や長谷野(ながたにの)、船木のように、戦時中に接収されそのままGHQの接収地として返還されていない箇所もありました。地元住民の嘆願書と同じく、入植者や地元農家の実情を訴え、返還の促進を訴えています。接収地の返還は県にとっても大きな課題でした。【昭06-34(13)】
1‐4「連合軍使用施設一覧」 明治22年(1947)12月
総務部渉外課長事務引継書の中に記載されている昭和22年12月当時に使用中だった施設の一覧表です。渉外課は前年の8月に、県と進駐軍との交渉・連絡を目的として、特別建設課とともに新設されました。この史料からは、県庁2階・3階の8室と1階の3室が、それぞれ滋賀軍政部と35連隊MP(ミリタリーポリス)本部に割当てられていたことがわかります。【昭06-135(2)】
1‐5「琵琶湖ホテル役務提供契約書写」 明治23年(1948)2月3日
この契約書は、服部岩吉知事と琵琶湖ホテルとの間で、進駐軍が生活するためのホテル業務提供を契約したものです。大津市錦織町柳ヶ崎にあった琵琶湖ホテルは昭和9年に完成し、桃山様式を採用した和風建築でした。内部は洋風が取り入れられ、「湖国第一の近代ホテル」として知られており、接収されたホテルは、日本政府が賃借したうえで進駐軍に提供するかたちをとっていました。進駐軍は昭和20年の9月30日には、早くもこの地を接収しています。【昭06-15(20)】
1‐6「滋賀県庁現状記録確認書」 昭和23年(1948)11月6日
昭和20年から接収されていた滋賀県庁の3室は、昭和23年に接収を解除され、11月5日、軍・県・所有者(服部岩吉知事)立会いのもと現状確認がなされました。この記録書によると、寝室として使用していた一室の東側の壁には弾痕が残っており、3室とも塗り替えが必要なほど汚損していたようです。この3室の評価額は、接収前と後で変わらず12,436円でした。 【昭06-4(21)】
1‐7「道路通行許可の嘆願書」 昭和31年(1956)3月
昭和31年3月に大津市民より提出された嘆願書です。当時、皇子山には、占領後も日米安全保障条約の発効にともない、引き続き駐留軍として滞在した米軍住宅が建設されていました。その住宅地の上丘にある早尾神社および山上不動尊は、地元住民の信仰を集めていましたが、神社に通ずる唯一の道路が軍住宅地内に含まれたため、代わりの迂回路が設けられました。住民はこれを不便とし、日本人が神や仏を信仰するのは、外国人が日曜に教会で礼拝する心境と同じであると改善を求め、この嘆願書を提出しました。【昭06-149】







