1‐1「国勢調査に関する法律」 明治35年(1902)
統計学研究の目的で設立された統計学社と東京統計協会が、明治29年3月、貴族・衆両院の請願委員へ「国勢調査ニ関スル建議」を提出しました。調査以前に行われてきた戸籍に基づく人口推計は、正確な数値を把握する上で問題が生じていたのです。そのため、欧米各国が行う同33年の「民勢大調査」と歩調を合わせて国内の調査を計画し、同35年にこの法律が成立しました。しかし、その2年後に始まる日露戦争により、実施は無期延期とされます。【昭あ158(22)】
1‐2「国勢調査唱歌に関する件」 大正9年(1920)6月
大正9年に実施された第1回国勢調査に際し、人々の理解を得るために行われた宣伝活動の一事例です。県では、唱歌を懸賞付きで県民から募り、1等は当時の公立小学校教師の初任給に相当する金50円、2等は金20円などと定めました。そして選定後は、早々に歌詞の説明をして、各学校の児童・生徒、幼稚園にまで唱歌を一斉に歌うよう周知徹底が図られました。【大さ10(13)】
1‐3「一般調査区より除外すべき箇所」 大正9年(1920)5月1日
大正8年5月に「国勢調査施行細則」が定められます。しかしその中で、一般調査区から除外すべき地域として、宮城・離宮など皇族の住まい、外国大使館・公使館・軍艦、陸海軍の部隊・艦船、監獄が挙げられました。県内では、陸軍の部隊施設と監獄が該当したようです。史料中にある「大津衛戍(えいじゅ)病院」の衛戍とは、当時の大日本帝国陸軍が永久に配備駐屯する地である意味を示しています。除外区域は別に調査手続きを定める旨の規定がありました。【大あ46(151)】
1‐4「国勢調査当日琵琶湖水面に於ける船舶居住者の調査」 大正8年(1919)
琵琶湖で漁業や貨物輸送を営む人々に対する調査方法を示したものです。自宅より出漁し、当日あるいは翌日帰宅する者は住所地で申告させ、船舶で居住生活している人に対しては、漁獲物の水揚げした土地あるいは港湾所在地に一時寄港させ申告させる方針をとりました。【大さ8(6)】
1‐5「国勢調査事務視察の件」 大正9年(1920)10月3日
臨時国勢調査部職員が、調査当日、八幡町(現近江八幡市)に事務視察を行った際の様子を記したものです。この中で、町長と助役の話によると、雨天で相撲が順延した力士約150人が町内に宿泊し調査を行ったが、出生地など不明確な記入箇所があるため便覧を用いて徹夜で記入し、当日の相撲に間に合わせたようです。【大さ9-2(8-5)】
1‐6「第1回国勢調査記念章授与者下調書記載人員表」 大正10年(1921)11月28日
大正10年6月、第1回国勢調査の記念章が設けられました。章を与えるため、県では各町村から調査業務に関係した対象者氏名を提出させ、その数をまとめ国へ報告しました。実際贈られた記念章は青銅製で、大化年間(645~650年)に中央から地方に派遣された官吏国司が、戸籍の巻物を手に持つ姿を描くデザインでした。【大さ11(3)】
1‐7「大正8年末現住戸口と国勢調査に於ける世帯人口との比較」 大正10年(1921)2月7日
国勢調査以前に行われてきた戸籍に基づく人口推計は、正確な数値を把握する上で問題があり、戸籍への記載漏れも多く発生していました。今回の調査によって、これまでの居住者数と調査後の数値との間で違いが生じていることがわかります。【大さ10(5)】
1‐8「国勢調査員ノ新宿御苑其ノ他拝観方ニ関スル件」 昭和4年(1929)12月
この史料は大正9年の国勢調査員に対し、新宿御苑・京都御所・二条離宮への拝観を許可する旨の通知です。拝観する人員は団体でも可能であること、服装は非礼にならない洋服か、和服であれば袴を着用すること、当日は晴雨によらず拝観することなどが定められています。 【大あ29(32)】








