滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

5-1「阿部市郎兵衛の事跡調査」 大正13年(1924)

 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)婚礼を記念した贈位願いに関する事績調査。代々麻布問屋である「能登川の阿部家」は、「五個荘の山中家」、「高宮の堤家」とともに「近江三福」の1つといわれました。7代目阿部市郎兵衛は、米穀肥料問屋を新たに始め、明治24年には阿部製糸場を創設しました。同製糸場は明治37年に富士製紙株式会社と合併し、現在の王子製紙に至ります。他にも近江鉄道や近江銀行、金巾製織(後の東洋紡)の設立などにも尽力しました。【大え67(21)】

 

5-2「塚本定右衛門の事績調書」 大正13年(1924)

 五個荘の呉服太物店を継いだ2代目塚本定右衛門は、明治22年に日本橋伊勢町を本店として塚本商社を設立し、現在のツカモトコーポレーションの基礎を築きました。その事績調書によれば、父(史料中の祖父は誤り)の遺訓5カ条を守り、家業に勤しんだようです。店員を養子のようにみなし、無給の代わりに必要経費を全て負担し、年数を重ねれば別家として独立させました。途中で退店する者には、給料相当の慰労金を手渡したようです。【大え67(29)】

 

5-3「小林吟右衛門の事績調書」 大正13年(1924)

 3代目小林吟右衛門は、明治6年に愛知郡豊椋村で生まれ、同16年に呉服太物卸商の家督を相続しました。屋号の「丁子屋」は通称「丁吟」で知られ、年々業務を拡張して、明治38年には合名会社となりました(現在のチョーギン)。事績調書には、高等小学校改築の敷地買収費や、姉川震災の罹災救助金などを寄付したことが記されています。【大え67(43)】

 

5-4「外村与左衛門の事績調書」 大正13年(1924)

 12代目外村与左衛門は、神崎郡金堂村に本店をもつ呉服木綿卸商の当主です(現在の外与)。事績調書によれば、代々伝わる遺訓「積善ノ家ニハ余慶アリ」を守り、身寄りのない貧民や不幸な者を救済する一方、他人に知られないよう努めたようです。また神社仏閣や公益事業などにも、多額の寄付を惜しまなかったと記されています。その他に、肥料工場が排出した亜硫酸ガスにより、近隣の農作物が被害を受けた大阪アルカリ事件の原告で知られています。【大え67(35)】

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