4-1「第3回関西府県連合共進会陳列区分全図」 明治21年(1888)
滋賀県が最初に出品した関西府県連合共進会の見取図。明治10年に東京上野公園で、第1回内国勧業博覧会が開催されて以降、殖産興業を目的とした博覧会・共進会が全国各地で開かれるようになります。関西府県連合共進会は、関西のいくつかの府県が集まり、広範囲に出品物を設定して開催されました。これらの場を通じた、主催者と出品者・観覧者同士の交流は、品質の向上や生産方法の改善、市場の拡大などに大きな役割を果たしたようです。【明て43(193)】
4-2「滋賀県物産蒐集所規則」 明治21年(1888)7月9日
明治21年6月、新築間もない県庁敷地内に設けられた物産蒐集所の規則。県内外の製品を陳列して一般の閲覧に供し、県内産業の改良・発達が目的とされました。入館できるのは、毎週土曜日の午前9時から午後3時までで、入場料は無料でした。展示物は観るだけでなく、係員に申し出れば、性質・効用などの質問や購入もできました。明治31年に誰もがわかりすいよう物産陳列所と改称し、33年には同所で滋賀県物産共進会も開催されています。【明い17(92)】
4-3「物産陳列場新築落成式式辞」 明治36年(1903)4月24日
物産陳列場新築落成式における知事の式辞原稿。従来陳列場に充当されていた建物は規模が小さく、明治34年に県会の協賛を得て移転することが決定しました。明治35年5月に起工し、翌36年3月に竣工します。式辞では、産業の発達を図るには、物産の精粗優劣を比較対照して当業者を啓発したり、物産を世間に紹介することが近道だと、陳列場の意義が説かれています。【明お58(94)】
4-4「滋賀県物産陳列所」 大正元年(1912)
明治36年に竣工した滋賀県物産陳列所の写真。 (『滋賀県がいどぶつく』第2巻、滋賀県蔵)
4-5『商品陳列所同出品協会年報』 昭和7年(1932)12月
大正10年4月1日、物産陳列所は商品陳列所に改称されます。さらに昭和7年10月1日に組織を改めて、物産販売斡旋所の業務の一部に移されました。同年報の出品人名簿のなかには、日野商人である正野玄三の名を見ることができます(売薬)。(滋賀県蔵)





