滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

2-1「商況調査の布達」 明治13年(1880)6月15日

 大書記官河田景福が、米や麦、茶、醤油など諸物産の相場や売買状況などを調査させるため、県内各地で商況通信委員を任命した布達。そのなかには、大津の山中新兵衛、彦根の井関寛治などと並んで、八幡商人西川甚五郎の名を確認することができます。近江商人は、県内商業の発展のため、自身の仕入れた情報を県全体で共有する働きもしていたのです。【明い117(124)】

 

2-2「商況通信之件」 明治13年(1880)

 明治11年8月、第二課を改称して設置された勧業課は、物産繁殖や通商工芸に関する事業を取り扱う部署でした。同課は事業の優先順位を決めたり、将来の予測を立てるため、毎年「年報」を刊行していました。第2回年報の商業に関する記事には、管内枢要の地に商況通信委員、横浜・神戸など輸出入に関わる諸港に特別通信委員を置くと記されています。 (『滋賀県勧業課年報 第2回』滋賀県蔵)

 

2-3「商況通信」 明治14年(1881)5月

 県内の商業情報を集めた商況通信は、毎月勧業課が刊行していた報告書に掲載されました。この報告書には、商業に加えて農業や金融の現状も記されています。第11号の通信では、八幡商人の西川甚五郎が、八幡と越前産の蚊帳が麻糸の高騰で産出が少なくなり、商人は買い控えているが、次第に需要の季節に入るので改善される見込みだと報告しています。(『滋賀県勧業課報告』第11号、滋賀県蔵)

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