3-1「県種畜場設立認可」 昭和7年(1932)5月7日
農務大臣山本悌二郎からの設立認可書です。県種畜場は野洲郡野洲町に設置されました。昭和初期は農業大恐慌が深刻となり、米麦を主体とした単なる副業的畜産ではなく、農業経営の各部門を有機的に組み合わせた、いわゆる有畜農業が奨励されます。畜産の振興を目的として造られた種畜場でしたが、面積の狭さや野洲川の水害により、昭和14年には分場が蒲生郡に設置され、16年にはさらに蒲生分場に本場が移設されます。【昭た474(1)】
3-2『滋賀県の畜産』 昭和7年(1932)
滋賀県が昭和7年に発行した県内有畜業の概況を示したものです。畜産組合や種畜場などの関連団体に関するデータや、畜牛の飼育・生産・移出入状況などが示されています。添付の「滋賀県略図」では、新設された県種畜場や畜産組合、家畜市場などが表記されていますが、県東部における畜業の盛んな様子がみてとれます。【滋賀県立図書館蔵】
3-3「県畜牛移動統制規則制定の件伺」 昭和19年(1944)8月21日
第二次世界大戦中、戦局の激化とともに、軍需資材の確保や農業生産力の増強が図られました。県でも畜力の適正配分と円滑な動員のため、牛籍を作成し牛の移動統制を強めることとしました。これにより、牛の県外移出が制限され、その動態が明確に把握されるようになります。しかし飼料配給の重点が乳牛と役牛に置かれることになり、県民の食事情に影響をもたらしました。【昭あ50(37)】



