4-1「社会事業に関する委員の資料」 大正9年(1920)3月15日
大正7年の米騒動は、町村主体の救貧事業の脆弱性を明らかにしました。翌8年3月1日、内務大臣床次竹二郎は、自治観念の陶冶や階級調和の促進などの5大要綱を示した訓令を発布し、各地でその実現に向けた民力涵養事業の実施を求めています。その後、内務省地方局は、済生顧問(岡山県)や方面委員(大阪府)など、各地で設立されていた社会事業に関する委員が「頗ル有益」であるとして、県に資料を送付して同委員の設置をうながしました。【大そ3(9)】

4-2「廃案となった知事諮問事項」 大正9年(1920)9月9日
大正8年9月12日、町村自治の普及徹底のために、県内の町村長から成る滋賀県自治協会が発足します。同協会では社会事業が重視され、発会式閉会後に、県知事掘田義次郎より「刻下町村ノ経営スベキ緊急ナル社会事業如何」という諮問がなされています。この諮問事項は、当初は冠婚葬祭費などの節約に関する内容でしたが、文案作成過程で内務部地方課長井上政信より「今少し大なる問題なきや」と批判がなされ、発会式前日に修正されたものでした。【大こ37(1)】

4-3「滋賀県保導委員設置規程」 大正10年(1921)2月19日
知事の諮問を受けて構想された社会事業に関する委員の設置規則。保導委員と名付けられ、県内務部の社会課新設にともない発足しました。市町村ごとに3名以上を選任するという規定で、任期は3年の名誉職です。生活困窮者の調査を行い、社会事業団体などと協力して、その改善向上に努めることとされました。当初は教育関係者や宗教関係者、医師・産婆などが想定されています。昭和3年7月に方面委員と改称し、敗戦後は民生委員として現在に至ります。【大あ49(9)】

4-4「蒲生郡安土村・河辺法寿の事績調書」 大正15年(1926)
蒲生郡西性寺の住職河辺法寿は、同郡安土村で保導委員を長く務めた人物です。河辺は同委員として、被差別部落の改善に力を注ぐとともに、家庭の融和や職業紹介、託児所設置など多岐にわたる活動に携わりました。また委員同士の連絡提携のために、毎月13日に大津の山川丈助、河瀬の那須凌岱など、創設時以来の古参委員たちと集まる機会をもっていたようです(十三日会)。この会合は、同委員制度が地域に定着していく上で大きな役割を果たしました。【大そ46(1)】

4-5「近江療養院」 大正~昭和初期
大正期に本格化した社会事業は、多くの民間有志の手で支えられていました。建築家として著名なウィリアム・メレル・ヴォーリズもその一人です。大正七年に近江基督教慈善教化財団を設立し、蒲生郡宇津呂村(現近江八幡市)の山麓に結核療養所として近江療養院(現ヴォーリズ記念病院)を開設しています。同院では、入院料に等級をつけず、治療に必要な実費のみをとる実費診療主義で経営されました。病舎はもちろんヴォーリズの設計によるものです。(県立図書館蔵)

