2-1「貯金を奨める告諭」 明治10年(1877)7月5日
政府や県は、貧困者の救恤を町村に期待するとともに、民間貯蓄の奨励を熱心に行いました。貧民に貯蓄をさせて困窮から守るのは政府の義務だとして、明治8年5月より駅逓局(郵便)預金制度が開始されます。県内では、明治10年7月10日より大津郵便局が業務を始めました。その際、県令籠手田安定は、中等以下の人民が貧困に陥るのは「理財ノ法」を知らないからであり、塵も積もれば山となると貯金を奨励しています。【明い93(3)】

2-2『農商工業衰頽実況取調答申書』 明治18年(1885)8月
明治14年10月、大蔵卿に就任した松方正義のデフレ政策は、農村の窮乏化を招き、県内でも明治17・18年は、町村救助費が激増します。明治18年5月26日、農商務省はこの衰退状況に関する下問を行い、県は民間から選ばれた勧業委員などに諮問を行いました。本史料はその答申書で、地租の軽減や節倹の必要性などが説かれています。この答申を受けた県令中井弘は、町村ぐるみの新たな貯蓄制度の整備に取り組むことになります。(滋賀県蔵)

2-3「貯蓄組合準則」 明治18年(1885)11月4日
普通・備荒の2種類の貯蓄組合に関する規則。いずれの組合も、その範囲は原則数か村(連合戸長役場が管轄する区域)とされ、災害や凶作の際のみ払い戻しが認められました。従来滋賀県では、明治10年より私蓄備荒金という独自の貯蓄制度が整備されていましたが、度重なる災害で貯蓄額は底をつき、最も貯蓄が必要な小作農や商工業者は排除されていました。この貯蓄組合は、全ての住民を網羅する「民主的」な貯蓄制度として発足したのです。【明い157(76)】

2-4「蒲生郡鎌掛村の貯蓄組合(満月会)」 明治42年(1909)
明治41年10月13日、明治天皇より戊申詔書が発布され、国民は「勤倹産ヲ治メ」るよう求められました。同43年には、甲賀郡伴谷村や蒲生郡鎌掛村がその奨励地方団体として表彰されています。鎌掛村では、同27年5月に満月会という貯蓄組合を結成し、村民は毎月所得に応じて、甲種30銭、乙種15銭、丙種3銭ずつ積み立てていました。同村のように、勤倹貯蓄に励んで公費に頼らない町村は、「模範村」として褒め称えられたのです。【明え266-2】

