2-1「東海道駅伝馬所廃止に付、伺」 明治5年(1872)1月
明治4年1月24日、民部省は「郵便創業の布告」を発布し、3月1日には東海道の各駅伝馬所に郵便取扱所が置かれました。しかし同年10月、郵便事業は民間の陸運会社に委嘱されることとなり、伝馬所は廃止されます。本史料は、その後も陸運会社の取締りのために、主な駅に置かれた官員に関する伺書です。従来から各駅に支給されていた30石を返納すべきか、引き続き彼らの給与に充てるべきか、県より大蔵省に照会しています。【明う171(54)】

2-2「琵琶湖新聞発刊布告」 明治6(1873)年3月8日
日本における日刊紙のはじまりは、明治3年の横浜毎日新聞と言われていますが、県内では同5年に滋賀新聞が発行されています。本史料の琵琶湖新聞は、明治6年に甲賀郡石部村の藤谷九郎次が始めたものです。現在発行されている日刊新聞とは異なり、大きさはA4版程度の冊子となっています。内容も日々の速報ではなく、世事の論評や、政府による布達の告示などが主でした。この史料の布告も、県令松田道之の名前でなされています。【明い37(47)】

2-3「大津にて伝信局開設の御願書」 明治6(1873)年8月22日
明治8年1月20日に大津湊町(現大津市)に電信局が開局されるなど、大津の地は急速に情報伝達の仕組みが整っていきます。この史料は、その1年半ほど前に、米相場所が改称した第一米商社から提出された請願書です。「京都・大阪の喉元」にあたる大津の地理的重要性が説かれ、早急に大津へ電信局を設置するよう求めています。【明と96(27)】

2-4「大津師範学校書籍縦覧所規則」 明治12(1879)年5月6日
上堅田町(現大津市)にあった大津師範学校は、在学期間を180日とし、学校資金は文部省の委託金と管内の寄付金からなっていました。その校舎内に設けられた書籍縦覧所は、午前9時から午後4時までの開館で一般に公開・貸出しが行われ、一回10冊の利用で15日間、年間1000名以上の利用者がいました。新刊を収集する経済力はなく、明治20年にはいったん閉鎖されてしまいますが、明治40年に、代わって大津図書館が設立されます。【明い105(29)】
