4-1「田川伏樋図算の図」 明治26年(1893)10月8日
水害4か村と県庁の長年にわたる努力の末に、ようやく竣工した田川カルバートですが、その9年後には、早くも破損箇所が発見されます。構造上の欠陥や用材の選択ミスが主な原因だったようで、明治26年2月8日、工学士の高橋元吉郎は「最急務」の修築が必要だと報告しています。本図はその修築工事に関わる審査書の付図で、明治18年に起こった水害の際の水嵩まで想定されています。工事は26年12月に起工し、翌年3月に竣工しました。 【明ぬ139(52)】

4-2「明治28年水害被害図」 明治28年(1895)8月
修築工事から間もない明治28年7月、湖北地方では「想定外」の大水害が起こり、東浅井郡虎姫村(旧水害4か村など)の家屋は、ほとんど水中に没す被害を受けました。住民たちは、天井や屋上に難を避け、長浜からの船数十隻で救助されたといいます。カルバート内部にも大破損が生じ、根本的な改造の必要性を痛感した県は、「インヴァルト」(逆迫持)工事に着手します。29年12月~31年3月の工事を終え、ようやくカルバートは安定期を迎えるのです。【明は5(75)】

