滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

3-1『滋賀県会日誌』第13号 明治16年(1883)4月16日

 内務省の意向を踏まえ、明治16年度地方税予算には、田川筋変更費の名目で、前年と同額の33,841円75銭2厘が計上されることになりました。しかし前年の精神を引き継いで削除すべきという意見が多数を占め、再び否決されてしまいます。その後籠手田県令は、このまま再び県会が否決し続けるのであれば、「涙ヲ揮テ馬謖ヲ斬ルノ想」で断行せざるを得ないと、自ら熱弁をふるって再議をうながしますが、結局工費は約3分の1に減額されてしまいました。(議会事務局蔵)

 

 

3-2「田川伏樋改築県会否決に付決行の伺」 明治16年(1883)5月8日

 明治16年度の通常県会でも、田川筋変更費は、到底起工できないほど減額された工費でしか可決できませんでした。籠手田県令は再び内務省に地方税の支出許可を求める伺書を提出します。籠手田は、治水工事に至る経緯を詳細に説明した上で、県会での反対意見を1つ1つ反駁し、本工費が「地方税支弁ニ属スルハ当然ナリ」と起工の必要性を訴えました。「実ニ不当」、「謬見ノ甚タシキ」、「不公平」という言葉が多用され、強い苛立ちが見て取れます。【明く47-2(1)】

 

3-3「地方税の支出許可を伝える電信」 明治16年(1883)5月27日

 河田大書記官も再度上京し、5月15日より内務省と交渉を開始します。工費の徴収方法に関する議論がなされたようで、交渉の合間に、河田は東京から電信や書簡を通じて県に確認をとっています。県からは、既に県では治水堤防費以外の予算を認可しているため、地価割・戸数割で別途賦課する予定だとの返答がありました。5月26日にようやく許可指令が下り、翌日河田は「チスイヒノウカガイキキトドケノシレイアリ」と県に電信を送りました。【明く47-2(12)】

 

3-4『滋賀県会歴史3編1』 (明治期)

 内務省の許可を得て、籠手田県令は田川筋変更費を原案通り執行します。新川の伏越樋を「アーチカルヘルト」(カルバート)に替え、川幅を拡張して田川の本流とする大工事です。明治16年11月1日に起工し、翌17年6月18日に竣工しました。水害4か村の人びとは、この改修に尽力した籠手田県令の功績を讃え、カルバートの近隣に祠を建立しました。後には水引神社と合祀されましたが、現在も形を変えて地域の人びとに祀られています。【行政資料38】

 

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