2-1「比叡登山軽便電軌鉄道(株)平面図(縮尺2万分の1)」 明治45年(1912)1月
坂本から延暦寺根本中堂までの鉄道経路が描かれています。図内の比叡登山軽便電軌鉄道(株)は、明治45年に、資本金50万円で鉄道免許を許された会社です。請願者は、栗太郡常盤村(現草津市)出身の政治家吉田虎之助ら19名でした。しかし期限内に工事を着手できず、翌年免許を失効します。本図はその動力源となる水力発電計画書の添付図です。【明ぬ56-2(21)】

2-2「比叡登山鉄道敷設免許申請書」 大正11年(1922)11月11日
比叡山ケーブルカー構想が生まれると、大津電車軌道(株)と比叡山鋼索鉄道(株)、叡山電気鉄道(株)の三社は、それぞれで敷設申請をしていました。しかし大正11年には、三社合同による出願が目的達成に不可欠であるとして、改めて鉄道大臣への免許申請を行います。結果、大正13年には許可を得ることができ、鉄道敷設は加速していきます。【大と22(6-1)】

2-3「起業目論見書」 大正11年(1922)11月
「大津電車軌道株式会社」、「比叡登山鋼索鉄道株式会社」、「叡山電気鉄道株式会社」の三社合同請願により、社名は「比叡登山鉄道株式会社」、資本金は1株50円を2万4千株募集して120万円(実際は100万円集まる)とされました。資本金の大半は京都電灯株式会社が所有し同社の傍系となりますが、同社が関西配電株式会社に統合された後は系列を離れて営業、現在は京阪電鉄系列となっています。【大と22(6-2)】

2-4「土地測量立入願」 大正13年(1924)11月
鉄道敷設工事にあたっての測量調査願いです。霊山である比叡山への鉄道敷設は難工事の連続でした。延暦寺や日吉大社の要望を受け、大津方面から山を見上げてケーブル線路が一切見えないように、工夫が施されます。2ヶ所のトンネル・7ヶ所の橋梁などが造られ、左右に蛇行して敷設することにより景観の維持が図られました。【大あ70(125-3)】

2-5「創立総会決議録」 大正13年(1924)10月23日
創立総会は、大正13年10月23日、滋賀県公会堂で開かれました。先の4月28日に開催されていた発起人会で創立委員の一人に推されていた羽室亀太郎(京津電車常務取締役)が社長に就任し、本社を大津市上京町17番地(当時)に置きます。同年11月6日には大津区裁判所に登記を完了し、この日正式に比叡登山鉄道株式会社は設立されました。【大と31(7)】

2-6「坂本停車場平面図」 大正14年(1925)3月23日
昭和2年(1927)に完成したケーブル坂本駅はケーブル延暦寺駅とともに開業以来の建物であり、モダンな洋風建築としてのたたずまいを見せています。外観には縦長に伸びる窓や珍しい模様のレリーフなどが施されています。大正ロマンの名建築として名高く、平成9年(1997)には両駅ともに国の登録有形文化財に指定されています。【大と36(10)】

2-7「官有土地無料貸付願の理由書」 大正14年(1925)8月10日
坂本村の住民が、飲料灌漑用水として利用している権現川を村への永久貸付地として現状維持させてほしい、と請願しています。この付近は、比叡登山鉄道の起点となる工事地に予定され、村には特別保護建造物の景観や火災、飲料水の汚濁などへの懸念がありました。しかし、比叡登山鉄道の工事を優先する県の方針から、請願は不許可となります。【大な196(66-7)】

2-8「道路敷設願」 大正15年(1926)4月28日
比叡山延暦寺から提出された、山上駅から根本中堂までに道路を敷設する願書です。工費は比叡登山鉄道が負担、竣工後は同社に無償提供する契約で、50日間の工程が予定されていました。比叡山に「近代的交通機関の設備を完成し、延暦寺参拝客の登山を容易ならしむること」を目的とする同社にとって、延暦寺との協力関係は必要不可欠なことでした。【大す23(8)】

