4-1「江雪査(新野古拙)」(1808-1875)
第13代彦根藩主井伊直中の10男(直弼の兄)で武節貫治の父。一度は家老木俣土佐の養子となりますが、後に分家して藩の功臣新野家を再興しました。嘉永4年1月より家老に任じられ、禁門の変や第2次長州戦争などでは殿軍を務めました。慶応3年12月、京都の外交御用掛となり、王政復古後は谷鉄臣とともに、新政府に付くことを主張しました。明治2年8月、彦根藩大参事となるも、翌3年には谷にその座を譲りました。【大え62(33)】

4-2「大東義徹(小西信左衛門)」(1843-1905)
鉄砲足軽の生まれ。河上吉太郎を師と仰ぎ、戊辰戦争に従軍。維新後は彦根藩少参事を務めた後、岩倉使節団に随行しました。帰国後は司法省に勤めますが、明治6年10月に西郷隆盛らが参議を辞任すると、職を辞して彦根に戻りました。外村省吾らと彦根議社(後の集議社)を結成して民権を主張。西南戦争の際には嫌疑をかけられ、官憲に拘束されました。明治23年に衆議院議員に当選し、第1次大隈内閣(隈阪内閣)では司法大臣に就任しています。【大え62(43)】

4-3「西村捨三」(1843-1908)
彦根藩作事奉行(180石)の家の生まれ。江戸留学後、文久2年より京都周旋方として、各地の情報を収集しました。戊辰戦争の際に軍事方(参謀)を務め、維新後は藩選出の公議人(政府が設けた立法諮問機関「公議所」の委員)や権大参事になっています。明治5年には井伊直憲の欧米留学に随行。明治10年より内務省に出仕し、初代警保局長を務めています。その後も沖縄県令や大阪府知事、農商務次官など、政府の要職を歴任しました。【大え62(44)】

4-4「石黒務(伝右衛門)」(1840-1906)
彦根藩金奉行を務めた父の早世のため、生後7ヶ月で家督を相続(100石)。文久3年にイギリス艦隊が、生麦事件の処理のため横浜に入港すると、藩命により警衛の任に就きました。王政復古後は岡本半介らと徳川慶喜を新政府に参加させるよう主張。彦根藩権大参事や静岡県大書記官などを歴任し、明治14年2月より福井県令を務めました。【大え62(45)】

