滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

3-1「西郷正之介」(1849-1864)

 禁門の変における戦没者。文久3年8月18日の政変により、京都から追放された長州藩は、翌元治元年(1864)に再び上京し、蛤御門付近で会津・桑名藩兵との戦闘を開始します(禁門の変)。彦根藩はこれを鎮圧するため出陣し、まだ16歳の西郷も志願して家老木俣土佐隊に属しました。西郷は鷹司邸付近で、槍を振るって戦いますが討死。その奮闘ぶりは、彦根藩における「勲功第一」と認められ、西郷家(220石)は30石の加増がなされました。【大え62(26)】

 

 

3-2「武節貫治(河手主水)」(1841-1905)

 戊辰戦争における彦根藩軍の大隊長。譜代大名の中で最も早く、新政府への帰順を表明した彦根藩は、慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いが始まると、大津で京都防衛の任に就きます。その後桑名藩の征討に加わり、江戸開城後は下野国(栃木県)で、旧幕臣の大鳥圭介隊と数度にわたって交戦しました。さらに同藩は、白河(福島県)へ向かい、会津攻撃にも参加。その多大な戦功から、政府からの賞典も、薩長土に継ぐ3万石が下賜されています。【大え62(23)】

 

3-3「青木貞兵衛」(1834-1868)

 戊辰戦争における戦没者。同戦争における彦根藩最大の激戦地は、陸羽街道に位置する小山宿での戦いでした。慶応4年4月17日、古河藩の救援に駆けつけた彦根藩ら政府軍(約320人)は、大鳥圭介軍の本隊(約2千人)と全面衝突します。数の上で圧倒的に劣勢であった政府軍は完敗。青木貞兵衛率いる半小隊は、脱出不可能と観念して、白兵をもって敵中に斬り込み、全員討ち死にしました。【大え62(24)】

 

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