滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1-1「中川禄郎」(1796-1854)

 藩校弘道館の教授を務めた彦根藩の儒者。弘化4年(1847)11月、世嗣になったばかりの直弼に、「蒭蕘之言」4巻20編を献呈し、人君の道を説きました。直弼はこの書物を藩政の指針とし、生涯傍に置いたようです。西洋事情にも明るく、ペリー来航の際には「籌辺或問」を著し、直弼が幕府に提出した開国容認の意見書に影響を与えました。安政元年(1854)12月、直弼の大老就任を待たずに死去しました。【大え62(39)】

 

1-2「宇津木六之丞(景福)」(1809-1862)

 大老井伊直弼が重用した側近の1人。前藩主直亮(直弼の兄)の信任も厚く、天保13年(1842)11月以降、江戸での城使役(幕府や諸大名との仲介役)を務めました。直弼の藩主就任以後は、相州(神奈川県)預所奉行として、ペリーの浦賀来航にも立ち会っています。嘉永7年(1854)3月に側役に任じられ、直弼が大老に就任すると公用人も兼務しました。宇津木の公務日記「公用方秘録」は、幕末政治史研究の一級史料として知られています。【大え62(37)】

 

1-3「長野主膳(義言)」(1815-1862)

 井伊直弼の側近を務めた国学者。天保13年11月、直弼と師弟の契りを結び、和歌や国学の知識を教授しました。直弼の大老就任後は、上京して志士の動静を探り、安政の大獄の端緒を作りました。直弼の死後も藩政に関与し続けましたが、文久2年(1862)7月、直弼と対立していた一橋慶喜が将軍後見職に就くと、宇津木とともに斬首の刑に処されました。その後彦根藩は、幕府から京都守護の任と藩領10万石を取り上げられ、未曾有の藩難に陥ります。【大え62(38)】

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