滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1-1「湖東鉄道敷設の件」 明治17年(1884)11月14日

 明治17年10月9日、旧彦根藩主井伊直憲や武節貫治、弘世助三郎をはじめ約40名が、官設予定路線であるものの着工には至っていなかった大津-長浜間(湖東線)の鉄道敷設を工部卿へ請願しました。この文書は、その敷設願に対する工部卿の回答です。その内容は湖東線は官設する予定であり、準備ができ次第着工するということを念押しするものでした。【明と21(134)】

 

1-2「鉄道敷設に関する指令」 明治20年(1887)4月

 関西鉄道会社の鉄道敷設請願に対する政府からの指令です。当会社の構想は、大津-四日市間を手始めに、大阪、京都等各地方へも延伸し、関西一帯に鉄道網を広げるというものでした。しかしこの請願は、難工事が予想される区間や、大阪鉄道会社の請願と重複する区間があるなど問題がありました。そこで政府は、まず官設湖東線と分岐する草津から四日市間を基幹とした、三重県内への支線を含む路線で再度請願するようにと指示しています。【明う43-4(50)】

 

1-3「関西鉄道会社設立并起業請願」 明治21年(1888)1月23日

 関西鉄道株式会社は明治20年の政府からの指令を受け、草津-四日市、四日市-桑名、河原田-津の敷設を請願することとしました。そこで、同年5月に公布された私設鉄道条例に則り、これら3路線を同時に着手し6年後に完成の予定とする請願書を内閣総理大臣宛に提出しました。これに対して6年以内の竣工を明示した免許状が同21年3月1日付けで下付されました。【明と51-3(3)】

 

1-4「関西鉄道のために尽力した者に関する答申」 明治39年(1906)8月10日

 関西鉄道株式会社設立の立役者の一人である当時の県会議員・弘世助三郎(日本生命保険創業者)が、関西鉄道の国有化が決定した後に、設立時を振り返り執筆した文書です。鉄道局長から関西鉄道へ、会社設立及び運営の功労者に関しての照会があり、当時の社長・片岡直温が弘世に意見を求め作成されたものです。当時の県知事・中井弘の功績や自身の苦心が記されています。【明お62(26)】

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