滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

5-1「工部省より京都・大津間鉄道建築達」 明治11年(1878)6月21日

 工部省からの通達を県がまとめたものです。明治11年8月、京都・大津間の延長工事が起工されますが、この時のルートは現在のものとはかなり異なっていました。当時の大津駅は湖上運輸との利便性を図るために湖岸沿いに設置されたためです。【明と3-4(1-1)】

 

5-2「京都・大津間鉄道築造に付、布達」 明治11年(1878)7月3日

 明治11年10月から着工した工事で、最大の難所は逢坂山のトンネル工事でしたが、鉄道頭である井上勝自らが技師長となり工事に臨みます。井上のもと、工技生養成所卒業生を中心とした工事は、初めて日本人のみで成功を収めました。結果、この後の鉄道建設は、欧米人の手を離れていくことになります。【明い99(3)】

 

5-3「旧長浜駅構内図」 明治20~30年代

 旧長浜駅は、明治15年(1882)に竣工した本格的な洋風建築でした。現在は本館のみが残されていますが、駅舎本館としては日本最古の遺構として知られています。建築史上・交通史上の重要性を評価され、昭和33年(1958)、第1回鉄道記念物に指定されています。【明と24-1(14)】

 

5-4「敦賀港之図」 明治10年(1877)頃

 この絵図は、敦賀港に面した市街地の町割り図で、各町名が見てとれます。明治9年より敦賀港は滋賀県に属しており、北陸道で琵琶湖水運と連結する交通の要所でした。明治14年に福井県が分離するまでの約5年間、滋賀県は日本海に面していたことになります。【明す535(4)】

 

5-5「太政官より福井県分置通達書」 明治14年(1881)2月7日

 明治14年、太政官の指令により、滋賀県から越前国敦賀郡と若狭国が分離し、福井県へと変更されました。これにより戸数2万5000戸余り、人口11万8000人あまりが滋賀県から転出します。この時をもって、明治4年から続いた県の変遷は、現状の滋賀県へと確定しました。【明あ156(87)】

 

5-6「福井県より滋賀県へ土地人民請取書」 明治14年(1881)3月12日

 滋賀県から福井県が分離するに当たり、福井県令石黒務から滋賀県令籠手田安定に送られた受け取り書です。分離にあたり、戸籍区別帳や地券台帳、社寺明細帳など重要書類が引き継がれました。こうした編入は当時珍しいことではなく、奈良県と大阪府や福井県と石川県の例なども見られます。【明お66-2(4)】

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