滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

3-1「県庁を彦根町に移すの建議」 明治24年(1891)12月16日

 県庁が今の場所に移庁して僅か3年後の明治24年、12月の通常県会で彦根町へ県庁を移転する建議が提出、可決されます。この建議では、滋賀県の地理的な中央は彦根町であり、戸口数も大津町より多いことから、彦根町に「一国ノ政庁ヲ置カルヽハ当然動カス可カラサル議ナリ」と論じています。【明き2(4)】

 

3-2「県庁彦根町移転決議に付建白書」 明治24年(1891)12月28日

 県庁移転反対派の署名建白書です。当時の県庁所在地である大津町をはじめとする5町村、3,701名による署名が添えられています。大津町は東京や京阪神からの交通もよく、先の県令らも「大津町ノ地方庁所在地ニ適当セル」ことを認めていたと主張しています。【明お49-2(6)】

 

3-3「坂田・東浅井両郡分合の義に付上申」 明治23年(1890)10月

 この史料は、郡制(明治23年制定)施行へ向けた郡分合(分離と合併)に対する、坂田・東浅井郡長の意見書です。郡内各町村長らの意向を調査した結果、多数が合併を希望しているので「合併セシメサルヲ得ス」とし、郡名は両郡から一字ずつとって「坂井郡」を考えていると報告しています。【明ふ59(2)】

 

3-4「郡分合に付建議」 明治24年(1891)12月12日

 終りの見えない郡分合問題を憂いた県会は、坂田郡を流れる天野川を境に同郡南部を犬上郡、北部を東浅井郡に分割するのが適当だという建議を大越知事へ提出します。本史料はその建議書で、県会議長岡田逸治郎が、本案を内務大臣へ建議するので、県の斡旋を得たいと申し出ています。【明き16(32)】

 

3-5「知事不信任をめぐる議論」 明治25年(1892)1月6日

 大越知事は、一旦県会の天野川分離案を尊重すると言ったものの、実地調査によりその実現は不可能であるとの結論に至りました。これに憤慨した県会は、明治25年1月6日の臨時県会で「知事ノ食言(嘘)」を「日誌ニ特筆大書」する議案を可決、知事に不信任決議を突きつけたのです。『県会日誌』(議会事務局蔵)

 

3-6「県会解散命令」 明治25年(1892)2月4日

 不信任決議を受けた大越知事は、「国ノ安寧ヲ妨害スル」事態として直ちに県会中止を命じます。同時に、「硬派」を名乗る派閥が他の議員を恐喝し議決を操作していると品川弥二郎内務大臣に報告し、県会の解散を求めました。これにより、明治25年2月4日、「前代未聞」の県会解散が命ぜられました。【明き19(15)】

 

3-7「滋賀県会解散始末」 明治25年(1892)3月15日

 近江新報社により発行された冊子です。「全国稀有ノ珍事」である県会中止や解散に至るまでの、議場紛擾の原因結果を明らかにしようと試みたもので、御幸橋の墜落や県庁移転問題、郡分合などについて言及しています。このような冊子が発行されるほど県会は白熱し、注目を集めていたのでしょう。【明お52(40)】

 

3-8「大越知事選挙干渉問題譴責」 明治25年(1892)12月23日

 県会が一旦解散したからといって、知事と議員の対立が無くなったわけではありません。明治25年12月の通常県会では、解散後の選挙で大越知事が妨害行為を行ったと批判し、今後このようなことがないよう注意を促すことを決議しています。白熱する県会はまだまだ続きそうです。『県会日誌』(議会事務局蔵)

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