4-1「京阪京津土地賃貸借契約証」 大正12年(1923)2月3日
京阪電鉄と京津電車は、大正初年から共に連絡乗車券を発売するなど、業務上の協力関係を深めていました。大正11年には当時衆議院議長でもあった京津電車社長奥繁三郎から合併の打診があり、合併条件は必ずしも対等でなくてもよい、との意向が京阪側に示され、その動きが加速します。【大と6(22)】

4-2「京津電気軌道臨時株主総会決議録」 大正13年(1924)
大正13年8月30日、京阪電鉄社長岡崎邦輔と京津電車常務羽室亀太郎との間に合併仮契約書が結ばれ、翌14年2月1日、正式に合併を果たします。当時の京津電車は株の配当が1割2分ほどでした。京津電車は解散することとなり、従来の軌道線路は、京阪電鉄京津線と呼ばれることとなります。【大ぬ158(16)】

4-3「京阪京津合併契約謄本写」 大正14年(1925)
京阪・京津の合併にあたり京津電車の一部の重役には反対の動きもあり、彼らは三条から出町柳までの電鉄特許線を申請していた京都電灯との合併を模索します。京阪電鉄は京都電灯と交渉して京津の電灯供給部門を京都電灯に譲渡する条件を示し、その上で京津電車との合併を果たしました。 【大ぬ138(3)】

4-4「京阪電鉄、浜大津・札ノ辻間線路実測平面図」 大正14年(1925)
大正11年の線路敷設出願時は京津電車の路線だった浜大津-札の辻間も、大正14年5月5日、京阪電鉄の線路としてようやく開業に至ります。浜大津への路線延伸により、京阪電鉄の路線は大阪から大津までと伸びることとなりました。【大と27(2)】

