滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

3-1「京津電気軌道創立総会議事録」 明治43年(1910)3月28日

 明治40年に軌道敷設が免許されていた京津電気軌道は、明治43年3月28日、京都商業会議所で130名が出席して創立総会が開かれ、正式に発足します。総株数3万株、資本金は150万円にのぼり、初代社長には奥繁三郎が就任しました。【明と82(21)】

 

3-2「京津電気軌道一部運輸開始御願」明治45年(1912)7月27日

 この年の8月、京都三条-札の辻間が開通します。途中、12箇所の停留場が設けられますが、札の辻-浜大津間は、突き抜け通りの拡張工事が付近住民の反対などで難航したこともあり、大正14年までその完成を待ちました。県下で初めての電車開通は、木造の電動客車として多くの市民に親しまれました。【明と87(58)】

3-3「京津電気軌道役員名簿」 大正期

 社長に就任した奥繁三郎は衆議院議長も務めた人物で、京津間の連絡電車構想に早くから興味を抱いていたといわれます。後に京津電車と京阪電鉄の合併を持ち込んだのも彼でした。また常務取締役の羽室亀太郎は比叡登山鉄道の創立委員も務めた人物です。【大と29(17)】

3-4「大津電車軌道石山大津間工事認可書」 大正元年(1912)10月1日

 大津電車は、明治40年9月、滋賀郡石山村から膳所町・大津市・滋賀村を経て坂本村に至る軌道敷設が免許され、同42年6月大津市内・滋賀郡内立ち入り測量許可を得ます。建設工事は順次進められ、同44年1月創立総会が開かれ、資本金50万円のもと、磯野良吉が社長に就任しました。【明と88(19)】

3-5「大津電車軌道線路平面図」大正元年(1912)9月

 大津電車は、当初の計画では大津市内の浜通りを拡張して軌道を敷設する予定でしたが、多額の工費を要したため大津-馬場間は鉄道院(鉄道行政の中央官庁)の大津線貸下げを請願し、共用することとなりました。そのためこの区間は狭軌と広軌からなる三本レールという珍しい形態の複線でした。【明と90(18)】

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