1-1「御大礼について」慶応4年(1868)8月
天皇の践祚(天皇の位につくこと)から、即位の礼(一般に即位を公示する儀式)、及びその後に行われる大嘗祭(即位後初めて行う新嘗祭)をまとめて大礼といいます。この文書は、明治天皇の大礼について記したもので、これまでの唐の模様の礼服は着用しない等の指示が出されています。【明あ2(107)】

1-2「万歳奉唱の時刻通牒」大正4年(1915)11月3日
大正天皇の即位の礼では、京都での儀式の時間にあわせて、全国の学校で大礼奉祝儀式が行われました。史料は、その儀式の開始時刻を指示するものです。開始時刻は、紫宸殿で内閣総理大臣が万歳を唱える時間にあわせて学校でも一斉に万歳奉唱が行えるように、午後2時からとされました。【大か19(12)】

1-3「国民大礼奉祝の景況(野洲郡)」 大正5年(1916)9月6日
国家を上げた儀式の一方で、民間でも大礼を記念して様々な行事が行われました。これは県内で行われた一般奉祝の報告書です。野洲郡では、工夫を凝らし奇抜を競って人物や器物、動物等に変装して自転車で郡内をまわり、沿道には参観者も集まり「未曾有ノ盛況」であったようです。【大か21合本3(5-3)】

1-4「悠紀斎田候補地調書(野洲郡三上村)」昭和3年(1928)
大嘗祭で供える米を作る田を悠紀・主基斎田といいます。昭和の大嘗祭の悠紀斎田には、野洲郡三上村の粂川春治の田が選ばれました。この史料は、その時の候補地調査書です。念入りな聞き取り調査によると、粂川氏は「酒くせナシ」「性格温厚」「家庭円満」で、村民からも尊敬されていたようです。【昭た452(12)】

