日本でウシガエル(食用蛙)が広まるきっかけは、1918年(大正7年)に東京帝国大学教授の渡瀬庄三郎(わたせしょうざぶろう)がアメリカから輸入したことにあります。渡瀬は、池沼の利用が不十分な日本において、これを活用した農家副業の一つとして、ウシガエル養殖の導入を考えていました。そして輸入したウシガエルが産卵に成功し、成長すると1920年に9匹が農商務省に分与されます。さらに同省は、この9匹を滋賀県と茨城県の水産試験場に分譲し、試験飼育を委託しました。
こうして試験飼育を委託された滋賀県では、後に鳥居本(とりいもと)村(現・彦根市)の原養蛙場(はらようあじょう)や息長(おきなが)村(現・米原市)の多和田養蛙場などが誕生することになります。特に多和田養蛙場は「吾国(わがくに)養蛙界の白眉(はくび)」(水産講習所養殖科第39回生『関西調査旅行報告書』1936年、東京海洋大学附属図書館所蔵)として注目されるなど、昭和戦前期滋賀の特異な事業として知られていました。ここでは、大正末期から昭和初頭にかけての湖国におけるウシガエルをめぐる出来事や様子を取り上げます。
3-1「摩訶不思議(まかふしぎ)な牛の唸(うな)り 処もあらうに池の中から」1922年(大正11年)6月24日
現在でこそ特定外来生物として、日本各地に分布しているウシガエルですが、当時の日本人にとっては新しく移入されてきた、なじみのない生き物でした。特に牛を思わせるようなその鳴き声は当時の人々を驚かせることがあり、ウシガエルが日本各地に広まるなかで、鳴き声に関する騒動を引き起こしています。実際、滋賀県水産試験場がある彦根でも騒動がありました。
この記事は、試験飼育開始から2年ほどたった1922年に起きたウシガエル騒動を報じたものです。彦根のある池から変な鳴き声が聞こえるようになったため、もしやと思った県水産試験場の技師らが調査したところ、同場から脱走したウシガエルだった、という事件がありました。(『京都日出新聞』滋賀付録)


3-2「湖北各地瞥見(べっけん)」1922年(大正11年)9月27・28日
滋賀県水産試験場は、農商務省からの指令で1922年10月から希望する西日本各府県にウシガエルやオタマジャクシの配布を始めます。同時期、県内からの配布希望の受け付けも開始し、新聞にも「滋賀県民は我れも我れもと県当局宛に仔蛙(こがえる)の分譲を申し込」んでいると報じられています(1922年10月23日付『朝日新聞』京都付録)。それほどウシガエル養殖に対する期待感は非常に強かったといえます。こうした期待感は展示の記事からもうかがえます。
9月27日付「湖北各地瞥見」で産業発展著しい彦根への県庁移転という希望が示され、28日付「湖北各地瞥見(三)」((二)の間違いと思われます)には「蛙の力でゝ〔で〕も此町(このまち)が今に県庁を移らせてみるに違いない」という展望も語られています。この記事の興味深いところは、ウシガエル養殖に、発展を続ける彦根に対する希望も投影されている点であり、ウシガエル養殖への期待感がうかがえます。(『京都日出新聞』滋賀付録)

3-3「滋賀県ノ食用蛙」1927年(昭和2年)9月
この資料は、1927年9月に滋賀県が昭和天皇にウシガエルを献上するにあたり、献上品を紹介するために作成された資料と思われるものです。このウシガエル献上は、地方長官会議に出席した今村正美滋賀県知事に対して、昭和天皇より「食用蛙について御下問」(1927年7月8日付『京都日出新聞』夕刊)があったことから実施されたと思われます。
展示箇所で注目できるのは、「省略すること」として抹消線が引かれていますが、県は「投機的経営を避け副業的飼育」の推奨に努めているという部分です。この背景には、ウシガエルが全国的に投機対象として取引されていたことにあります。
実際、投機目的で他府県からウシガエルを求めて県水産試験場にやってくる人々や、郵便による分譲申し込みなどが毎日のようにあったようです(1927年1月13日付『大阪朝日新聞』京都滋賀版)。まさに上記のようなウシガエル養殖に対する強い期待感が、過激な投機ブームを生み出したといえます。【昭か86(2-2)】

3-4「滋賀県養蛙(ようあ)組合規約」1928年(昭和3年)3月16日
この資料は、滋賀県への補助金申請に添付された滋賀県養蛙組合の規約です。同組合は、1928年3月16日に県内の養蛙業者によって組織され、飼育法改善・生産増進、そして販売斡旋を通じた需給の開拓を行い、「副業的養蛙業」の堅実な発展を図るとしています。
この組合設立の背景には、県と県水産試験場の意向が関わっていたと考えられます。先の資料の通り、県は副業としての堅実な発展や販路の開拓を重視していました。また県水産試験場も、人々の食卓にウシガエルがのぼるようにする方法を検討しており、3月10日に県内の養蛙業者を集めた研究会を開催して協議を行うという報道もあります(1928年3月8日付『京都日出新聞』朝刊)。つまりウシガエル養殖業の健全な発展と販路・活用の開拓という県・県水産試験場の意向があり、上記研究会での協議を経て組合設立に至ったと思われます。【昭た482】

