滋賀県では、琵琶湖を自転車で一周する「ビワイチ」が古くから県民の間で親しまれています。2019年(令和元年)には日本を代表し世界に誇りうるサイクルルートとして、第一次ナショナルサイクルルートに指定されました。
自転車は近代に発展・普及した乗り物です。ロードレースのなかでも世界的に有名なツール・ド・フランスは、1903年に新聞社主催で初めて開催されました。その影響を受け、日本では1900年代(明治時代中頃)にはいると新聞社主催の自転車競走が行われるようになります。滋賀県でもこのころから自転車愛好家による競走会が開催されるようになっていました。
ここでは、現在は県内外の人々から楽しまれているビワイチについて、その起源からみていきます。
2-1「滋賀日出自転車競走大会」1908年(明治41年)6月9日
1908年、滋賀日出新聞社(京都日出新聞社(現・京都新聞社)傘下)が自転車競走大会を開催しました。これは、現在確認できる最初の「琵琶湖一周」を冠した自転車競走大会です。当時は湖岸道路が未整備であったため、長浜から今津までは汽船を使い、八幡-長浜-今津-大津-八幡のルートで琵琶湖を一周しました。
本資料には、選手が通過するスタンプ押捺所に多くの観客が集まったとの記述があり、当時盛り上がり始めた自転車ロードレースの熱気が伝わります。(『京都日出新聞』)
2-2「湖周駅伝競走に関する件」1935年(昭和10年)
1919年(大正8年)に滋賀県知事となった堀田義次郎は積極政策を掲げ、琵琶湖周遊道路の建設を予算化しました。また、堀田知事は体育を奨励し、琵琶湖一周リレー大競走会(湖周リレー大競争会)の開催を提唱します。この大会は1919年から1924年まで毎年開催されました。本資料は、この大会を復活させるために県会に向けて作成された予算説明書です。滋賀県体育協会や滋賀県社会教育会、大阪毎日新聞社などの主催により、湖周駅伝競走大会として1935年に復活しました。【昭き13-2(13-4)】
2-3「高松宮賜杯第1回琵琶湖一周自転車道路競争大会要綱」1951年(昭和26年)5月
戦時中は軍事色を帯び、大会なども中止されていた各種スポーツは、戦後に民主化がはかられていきます。そうしたなかで、国際的なロードレーサーの育成を目的としたアマチュア競走大会として、高松宮賜杯琵琶湖一周自転車道路競走大会が開催されました。コースには悪路が明記され、当時の道路状況の過酷さを窺い知ることができます。ロードレースの規制が年々厳しくなり、第15回大会をもって終了しましたが、全国的にみても規模が大きく競技者の目標となったレースでした。【昭か28(16-1)】
2-4『バイコロジー推進基本構想-自転車社会をめざして―』1980年(昭和55年)9月
1977年、琵琶湖に赤潮が発生し、環境保護への関心が県内で大きく高まります。そのなかで武村正義知事は「滋賀県バイコロジー推進基本構想」を掲げ、琵琶湖一周自転車道の整備などを提言しました。バイコロジーとはBikeとEcologyとを合成した言葉で、環境のために自転車利用を促進しようとする運動です。その後、びわ湖よし笛ロードやびわ湖レイクサイド自転車道などの大規模自転車道が整備されていきました。さらに、民間でも滋賀県バイコロジーをすすめる会が発足し、官民一体の運動が現在のビワイチへとつながっていきます。(滋賀県蔵)