滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

3-1「関東大震災救援録(冊子)」 大正12年(1923年)10月

 大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災は、東京府(現・東京都)や神奈川県を中心とした地域に大きな被害をもたらしました。死者と行方不明者数は10万5千人と言われています。滋賀県を始め各地域から義捐金や食料、衣類などの救恤品が送られました。食料は白米、梅干しや漬物、缶詰などの保存食が中心で、薬品、教科書なども送られました。【大そ12(1)】

 

3-2「増上寺の大伽藍に300余の県人災死者追悼大法会」  大正12年(1923年)

 関東大震災で死亡した滋賀県出身者は約300人でした。蒲生郡出身者が最も多かったようです。大正12年(1923年)12月1日に東京市芝区(現・港区)の増上寺で滋賀県人共済会により、追悼法会が催されました。滋賀県会議長の弔電が読まれ、遺族や関係者が参列し、読経や散華などが行われました。【明ふ166(63)】

 

3-3「関東大震火災罹災県人共済事業経過報告(冊子)大正13年(1924年)4月

 滋賀県人共済会は、関東大震災を機に東京市小石川区(現・文京区)の今井兼寛宅を中央事務所として設立されました。事務所は東京市に移っていた井伊家、滋賀県人会、近江銀行支店など各所に設置され、このポスターで被災した滋賀県出身者へ活動を周知し、義捐金を集めて生活再建を支えました。共済会は事業を活動写真に記録し、滋賀県内の公会堂などでの事業報告を行いました。【大そ24(21)】

 

3-4「鉄道で避難する人々(『古今写真大観 関東大震災』所収)」 大正12年(1923年)

 震災から2日後に鉄道の無賃乗車が認められたことから、各地への避難のため、屋根にも溢れるほどの乗客の輸送が行われました。客車のみでは間に合わず、貨物列車にも乗客を乗せる事態となりました。約100万人が被災地から他地域へ避難したといわれています。【滋賀県立図書館所蔵】

 

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