滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

 1910年(明治43年)10月、嘉仁皇太子(後の大正天皇)の滋賀県巡啓が6~8日の間に行われます。巡啓記録の『鶴駕奉迎記』(滋賀県、1912年)には、県民は皇太子の訪問を待ち望んでいたとあり、その期待感がうかがえます。
 そして、この巡啓は愛知郡東押立村(現・東近江市)南花沢・北花沢にある「花の木」の分木が献上されるきっかけになります。「花の木」はカエデ科の落葉樹で植物学上でも珍しい木とされ、聖徳太子が百済寺を創建する際に植えたという逸話も残る古い木です。ここでは、その「花の木」が献上される経緯などを公文書や新聞記事からご紹介します。

 

3-1上申書」1910年(明治43年)9月22日

 この文書は、郷土史家の中川泉三が川島純幹知事にあてて、「花の木」の写真を皇太子に観覧いただけるようにしたいという上申書です。中川は、講演で来県していた東京帝国大学の牧野富太郎から、「花の木」は北米でしか見られない珍しい樹木であることを聞きます。調査を進めた中川は、この木が古代の歴史を研究する上で重要なものであると考えて、上申書を提出しました。そして、この上申書は聞き届けられ、皇太子に御覧いただくことが決まります。【明ふ46-3(21)】

 

3-2「東宮御盛徳」1910年(明治43年)10月11日

 この記事によると、「花の木」の写真と枝に接した皇太子は、「花の木」が世界でも珍しい木であるとして、非常に興味をもったそうです。そして青山御所に移植したいとの希望を示したものの、大きな木であるため、その移植法を検討して、青山御所に植えることになるだろうと報じられています。(『京都日出新聞』)

 

3-3「東宮へ献上の珍木」1911年(明治44年)11月7日

 青山御所に移植したいという皇太子の希望に対して、差し芽などの方法で分木することとなりました。百数十本を愛知郡模範農事試験場などの施設で培養し、成長できた一部を鉢に植え替え、県庁の庭園で栽培したようです。
 記事によれば、県庁の庭園で栽培された分木から無事に芽が出たので、川島知事は県会終了後に献上する予定であると報じられています。(『京都日出新聞』)

 

3-4「川島知事『花の木』献上」1911年(明治44年)11月13日

1911年11月12日、上京した川島知事は皇太子に「花の木」の分木を献上しました。その際、皇太子からは滋賀県の小学校教育や農業の状況について質問があり、また滋賀県は水産増殖に力を入れるように、との発言があったと報じられています。(『京都日出新聞』)

 

3-5村社八幡神社天然紀念物花之木指定奉告祝祭式次1921年(大正10年)4月5日

 その後、「花の木」は、1919年に公布された史跡名勝天然紀念物保存法に基づき、1921年3月3日に、南花沢と北花沢の「花の木」がそれぞれ国の天然紀念物に指定されました(内務省告示第38号)。調査を行った三好学は自著『天然紀念物解説』(富山房、1926年)で、「花の木の巨樹として稀なるもの」であったため、指定されたと解説しています。
 この指定を記念して、同年4月5日に同村八幡神社にて指定奉告祝祭記念式典が実施されました。この資料は、その式典の式次第で、知事や県選出衆議院議員、県会議員なども出席した式典だったことが分かります。【大せ35(31)】

 

 

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