明治24年(1891)5月11日、大津を訪問していたロシア皇太子のニコライを、警備中の津田三蔵巡査が斬りつける事件が発生しました。「大津事件」です。本展示では、令和4年度(2022)に警察本部から公文書館に移管された大津事件関係資料の一部をご紹介します。
1「露国皇太子殿下を傷けたる現場略図」 明治24年(1891)5月
滋賀県庁を発したニコライは京町通を人力車で西に向かい、逢坂峠を越えて京都常盤ホテルに投宿する予定でした。しかし下小唐崎町(現在の京町二丁目付近)を警備していた津田三蔵巡査の前を通過した直後、津田によって斬りつけられました(本資料中の◎印の場所)。津田は即座に捕縛されますが(△印の場所)、大国ロシアの皇太子に危害を加えたこの事件は、政府や社会を大きく揺るがすこととなりました。【令4-6822-8(31)】
2「手続上申書」 明治24年(1891)5月11日
事件が発生すると県警察部は、その場に居合わせた巡査らに聞き込みを行いました。現場の監督者であり、かつ津田三蔵を逮捕した巡査部長は、それまで津田の挙動に異常はなかったこと、見物に来ていた群集の動きに気を取られていた隙に事件が発生したこと、異常に気づき「疾風現場に馳せた」ところ、ある警部が津田を取り押さえている様子を見て初めて、津田が犯人であることに気づいたことなどを、大津警察署長に対して報告しています。【令4-6822-8(34)】
3 「津田三蔵性行調査につき通牒の件」 明治24年(1891)5月13日
県警察部は事件の2日後には各警察署長に対し、管下の警察官のうちこれまで津田三蔵と関係のあった者を調査し、津田の素行について報告するよう命じました。津田の「生活向及貧富」、愛読の新聞雑誌類、飲酒状況、「神仏信仰の如何」などを調査項目として提示していることからは、事件発生直後の警察部が津田の犯行動機について、どのような可能性を推測していたかが窺われます。【令4-6822-5(1)】
4「上申書」 明治24年(1891)5月15日
県警察部は、事件後における県内各地の人びとの様子についても調査していました。彦根警察署高宮分署長は、「人民一般此の椿事(珍事)の結果如何(いか)んを憂慮」し、「狂漢津田三蔵か所為を悪(にく)まさる者無」いと報告しています。実際、「細民」の間には、ロシアとの戦争が発生するとの風説が流れていたといいます。ただし彼/彼女らの心配は、戦争によって「米価の騰貴」が発生するという点にもあり、国家的危機として事件の行く末を憂慮した「村長其他有志者」らとは、「其趣は異な」っていたようです。【令4-6822-7(38)】